NANA★LAND

ぐだぐだ日記としか、、、

9月9日(日)幽遊白書から学ぶ悔しさは成長の糧

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 昔のアニメを流し見していて、ここのところ地味に幸せだ笑
 先月、妹が帰省して、たぶん東京五輪が映画「AKIRA」の舞台と一緒なんだよね、とかはなしているうちに、「AKIRA」を観ることになった。
 二歳と四歳の姪っ子は、映画で泣くし(ソリャ泣くわ)、私も妹も「金田」のことを「アキラ」だと思いこむという何回目かの過ちを繰り返し、「テツオ」が狂気にかられる過程をほんとうにかみしめるように思い出していた。

 で、しばらくしてネットフリックスに幽遊白書があがっているのを見かけて、多分、夏にアキラをみたせいで、つながってしまった。
 つまり、テツオイコール佐々木望つながり。

 いま毎日「幽遊白書」をかけながら化粧をしたり、通勤したりしている。
 いや、ほんと楽しい。

 何が楽しいって、やっぱりレトロな感じがしてほっとする。

 みなさん、ご存じだと思いますが、このバトルマンガって本当に最初から最後まで、割とボス戦のクリアの仕方がいつもワンパターン。
 当時は気がつかなかったけれど、ほんと誰でも彼でも、こてんぱんに打ちのめされたり、仲間がピンチになると「怒り」が引き金となって、マックスHPとMPが上昇、急激に強くなって相手をのしちゃう。

 いや、ほんと、「それ反則やん」と思うくらい、気持ちいい。
 
 とはいえ、「怒り」で自分の能力をあげられるなら苦労しないでしょう。

 なんて、思うのだけれど、この前友だちと「コンプレックス」の話をしていて、もしかすると「幽遊白書」でさんざん描かれている、敵にこてんぱんにされたときの「怒り、悔しさ」こそ、人が成長する要素なんじゃないかという話になった。

 そもそも、私が作家になりたいと思うようになったのも、もちろん本が好き、というのもあったけれど、自分にはそれしか「人よりも好き、得意だって思えるものがない」と自覚したのが始まりだった。

 たとえばスポーツにも興味がなかったし、勉強もそれほどできるわけじゃなかったし、楽器も絵も得意じゃなくて。
 今思えば、それは一般的なことで、ほとんどの人間がそうなんだけれど、当時、思春期の頃は、それに死ぬほど打ちのめされた。
 何かで一番になれないなら、順位を競わない世界でオンリーワンになれればいいんじゃないか。
 当時はこれほど明確にこんな恥ずかしい目標を持ったわけではないけれど、なんとなく特別になりたいという強い思いだけはあった。

 そうなった理由は、当時すべてにおいて、周囲には自分を圧倒的に越える友だちがいたからだと思う。
 つまり、十代の私にとって、世界はすでに広かったということだ。

 だから圧倒的な能力差のある思春期の世界で、自分のアイデンティティというか、自信を保つために何か、得意なものを持ちたいというのは、強迫観念そのものだった。

 その思いがかなり強くて、本当にざっくりだけれど、作家という道を志すようになった。
 
 なんのことはない、夢はほかのことができなかったこととセットなのだ。

 幽遊白書の主人公、幽助は、けんかが大好きで、負けるとき、それはストーリー上、自分や仲間の死を意味するので、簡単にギブアップができない。
 だから、負けられないし、負けないまでもその強さを見せつけられると、ものすごい「悔しい」という態度をとる。
 この幽助の姿が、私自身の態度に重なった。
 つまり、なにかでうまくいかないときに、それがどんな時でも物語を書くということだけは投げ出すことをしないという私の行動指針だ。

 誰かに否定されても、いつかは形にしようという執念が心の底に常にあって、どんな努力もしようと決めていた。

 そういうものが誰しも持てるものではないということに気がついたのは、30歳を越えたころで、その頃には人生で重要なことを決めるときの一つの指標になった。
 つまり、どういう道に進めば自分は作家になれるのか。

 そこには、やっぱり思春期の頃の「誰にも負けたくない」という気持ちがある。
 
 幽助が毎度のように強敵にこてんぱんにやられて、パターンのように
いや、まだ納得してねえ、いつかやり返してやる! というシーンで萌える私。
 同時に、私っていつまで少年ジャンプなんだよ、とため息つきたくなる。

 結局、複雑でで、「悔しい」という、ちょっと人前で見せるのがそれこそ悔しい感情こそが、人間の成長には必要だと思うけれど、一方で成長しねえな、と苦笑する要素であったり、する。