NANA★LAND

ぐだぐだ日記としか、、、

8月26日(日)黄泉がえり

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 つい先日、また猫の死体を回収した。
 「また」というとくらい数え切れないくらい拾ってきているのだが、ちょっとぞっとするこのアクティビティを気がついたらするようになった。 つい動物の死体を見ると、かわいそうで回収してきて、庭に埋めてしまう。
 おそらく、そういうことをすると憑依霊がどうかとか、めんどうなことを言われるだろうが、そんなことを私に言ってきた人間は逮捕されて檻の中にいるので、もう気にしないことにした。
 
 私は別に死体を回収するためにドライブしているわけではないのだが、栃木という場所は公共交通機関が発達する余地がないので、移動は車が主になる。

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 通勤のときには田園地帯を走るので、ほぼ週に一度は動物の死体にお目にかかる。
 たいがいは、狸、きつね、猫、という感じで、本当に痛ましく、いつも曳かれた動物たちを見ると心臓がきゅっとなる。
 いつの頃からか、そうした動物を見ると、いたたまれなくなり、回収しては庭や近所の林に埋めるようになった。
 死体回収については、ぞっとするよりも、痛ましいというほうが強いので、早くお墓に埋めてあげたい気持ちで恐怖というのはない。

 一度、家で飼っていた半野良の猫の水死体を引き上げてからというもの、たいがいのことは驚かなくなり、死後経過24時間以内なら抵抗なく回収することができるようになった。

 そもそも、24時間もたって、道路に放置されることがないというのも、栃木のある意味でいいところだと思うのだが、たいがいは、痛ましいその死体は幹線道路だろうが、県道だろうが、市町村道路だろうが、農道だろうが、長くその場に放置されることはない。
 見かけた誰かが回収し、埋めているのか、同じ日に同じ道路で同じ遺体を見ることは本当にまれだ。
 だから、私もかわいそうな猫の死体を回収することは、二年に一度くらいだ。
 実際、私の家の猫が近所で倒れて死んでしまったときも、近所の人が公民館の庭に埋めてくれたことがあった。
 
 そういうわけで、つい先日、ひさしぶりに猫の死体を回収した。
 赤トラのまだ半年ぐらいしか生きていない、手足のほっそりしたかわいい猫だった。
 朝、通勤途中に見かけて即死しているのがわかり、午後は休暇をとっていたので、帰る道すがら、いるかな、と思ったら今朝見かけたときとは反対側の道路に寝かされていたので、タオルをかけて回収した。
 おそらく脳挫傷だろう。
 はねとばされて、頭から落ちて、頭と口から血を流していた。
 即死であればいいと願いながら、道路に車を停めて、回収した。
 お墓の穴をほり、庭の花を積んで埋めるときに、「今度生まれてくるときはうちにおいで」と前にも言ったせりふで供養する。
 実際、こうして以前にも赤トラの死体を埋めたことがあるのだが、あまりにもかわいそうで言ったこの一言がどういうわけか、効果を発揮して、その半年後に、そのとき埋めた死体とそっくりな赤トラのオスが我が家に迷い込んできて、いま赤トラのリオとして暮らしている。
 スティーブン・キングの小説に「ペット・セメタリー」という、死体を埋めるとゾンビとなって帰還するという恐ろしい物語があるが、我が家のペットセメタリーは逆のような気がする。
 埋めると、幸せになるために、生還する。
 それもちゃんと生き返って。

 そういうわけで、近い未来、その赤トラはきっと我が家にやってくると思われるのだが、そうなったら、本当におもしろい。
 そのペットセメタリーには我が家の北東に位置し、まさに鬼門なのだが、じつは裏鬼門にあたる南東には、去年まで我が家の家猫だった黒トラが、近所の心やさしい人に埋められて静かに眠っている。
 鉄壁の防壁ではないか、と悦に入りながら、私は動物たちの鎮魂のために時々手を合わせる。