NANA★LAND

ぐだぐだ日記としか、、、

8月26日(日)理解されなくても まいっか

8月26日(日)

 カレンダーをめくった。
 1ヶ月ごとのひとりミーティングは毎月20日前後にしているので、それが終わるとカレンダーは翌月にしてしまう。
 まだ外は猛暑が続いているけれど、夏は終わった。
 今年は、ひどくいらいらしている。
 いらいらだけでなく、なぜ自分がこうしているのかが、わからなくなり、明日にでも仕事をやめたい衝動にかられている。
 もうとっくに転職するつもりが、バランスをとるために両方を中途半端にこなし、結局身動きできなくなった蜘蛛の巣の上のトンボにも似ている。
 そんな、妄想が浮かぶ。

 昨日、ずっと再読できなかった本をめくった。
 30代の指南本という体で書かれたその本は、今めくったら、絶望的な気分になることが目に見えていたからだ。
 結局、東京で気分転換のために一泊して、それから読むことにした。
 結論は、指南本には刃向かっていくことが、大事だということだ。
 そもそも本ということ自体、全面的に真実というわけではなく、筆者が「俺はこう思う」と言っているわけで、私にとって当てはまることのほうが珍しい。
 世に言う真理がそこにあったとしても、それを規律正しく守ることで、苦痛を味わったり、精神的に手足を縛られるぐらいなら、堂々と×印をつけて進むぐらいでないと、とてもこの手の本につきあってはいられない。
 つまり、そういうことで、それが30代の後半にさしかかった年の功というやつだろうと思う。

 つまり、自信のなさと経験値の低さは、行動として他人の意見に従順になるという利点と難点を含んでいる。それは、謙虚さも含んでいて、多くを学ぶ機会になる。
 けれど、自分を殺してできることには限界がある。
 それがまさに自分の人生としての時間を授業料として支払う学びであるけれど、学んだ結果どうなのか。
 結論は、「ものすごくいらつく」ということだ。

 向かないことを忍耐で乗り越えていくには、期間限定であることが最低条件だと思う。
 それは、組織としても、個人としても。
 向かないことをする利点は多くあって、それは無限の可能性を秘めているが、それは異世界を旅するにも似て、いつまで立っても自分という故郷に立ち返ることができない。
 旅路自体が冒険だと言う人もいるかもしれないが、私は旅はむしろ修行というか、やっぱりクエスト、宝探しの段階だと思う。
 人間がやるべきことは、異世界におかれた自分と他人がどうなってしまうか見極めることで、できるだけ早くそれに気がついて、自分という故郷に帰ることじゃないだろうか。
 長く異世界にいると、自分自身の首を絞めているような気分になってくる。
 それが限界というやつで、私はたぶんもっと早くそれに気がついてここから出るべきだった。
 
 一つの旅が終わったのだと思う。
 実際は、まだ終わってはいないけれど、私の心のほうはすっかり別れを告げている。
 もっと早く決断すべきだったというのはやめようと思う。
 今、がベストだった。

 私はいつも、誰かと比べたら、「遅い」と言われる。でも、そもそも人生に遅いと早いは本当はない。
 一般論が当てはまることは、集団にとけ込める利点がある代わりに、可もなく不可もなくの安定があり、そこにはある退屈さがある。
 人生は一度きりで、私という人間はどんな意味でもこの世に一人しかおらず、そういう存在が特別であることは言うまでもなく、みんなと同じであることは幸福だけれど、そうでない場合が不幸とも限らない。
 いや、それはやっぱり不幸率が高いかもしれないけれど、同じにはなれないというところから、暗い開き直りとともに、深呼吸ができる気もする。
 今はまだどす黒い淀んだ景色に立っているような気がするけれど、ここを抜けたら、今いる場所の利点も見えるかもしれない。