NANA★LAND

ぐだぐだ日記としか、、、

6月24日(土)ジオストーム~近すぎるファンタジーとしてのディザスター映画~3/3

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(拾ってきたジェラルド・バトラーの画像なんですが、

この映画のどこにラブ要素があるのか、弟と婚約者のことなのか(笑))

 

 

 なんというか、もうこの前提がファンタジーなんですね。

 映画はフィクションなので、ファンタジーありきなのですが、テーマがテーマで、現実的にホットすぎて、距離感がとれない。

 地球温暖化に端を発する異常気象って、現在師進行形の大問題です。

 地球というインフラが人類とそれをとりまく野生動物にとって危機的な状態にある以上、これ以外に真剣に取り組む問題ってないんじゃね、って思えるくらいのシリアスなアジェンダだと思います。

 

 気分的には、人類存続の危機だと思うので、これ以外の連続殺人事件とか、AIの話とか、暗殺者の宿命とか、色々映画のテーマってありますが、時事的な問題としてこれ以外にない、というくらいホットでビッグなプロブレムだと思います。

 (なぜこんなにあつ苦しくなっちゃうかと言いますが、最近はすべてがこの地球温暖化を解結しないと、様々な社会システムが海の藻屑になるのではないかと思い、フィクションにもこの視点がないと、どうにもテーマ性にかけるというか、危機感にかけるような気がしちゃうのです)

 

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ウルグアイ40代大統領。元南米最強都市ゲリラツパマロス所属 ホセ・ムヒカ

(すごい、いい顔している。。すばらしい。。お仕えしたい。。)

(彼が言うには、温暖化問題はライフスタイルの問題、つまるところ、政治問題、とのことです)

 

 地球温暖化というか異常気象問題の本質は、実は政治的な問題で、解決方法はわかっています。

 異常気象の起こる原因も陰謀論を唱える人もいますが、高い確率で炭素社会であることでほぼ確定です。

 だから、炭素を削減する社会。つまり、再生可能エネルギーに舵取りをすればいいだけなのです。しかし、それができない。

 問題解決方法はわかっているのに、どの国もサスティナブル(持続可能)エネルギーに全面的にかじをきれないでいる。

 なぜなら、すごく損をすると思うから。

 だから、正直に言って、このまま地球の気候はどんどん悪くなることは目に見えている。

 その臨海点を越えてしまってからの物語が、この映画のスタート地点なのです

 こういう暗いスタートって、人類が核戦争を始めたとか、核戦争で荒廃した地球が私の故郷とか、でけっこうあるんですよね。

 でも、この映画の薄気味悪さは、そんな派手なドンパチやらずに、私たちが毎日を普通に暮らしてる先に確実に待ちかまえている未来という設定。これでほどリアルで、地味な未来観ってないと思います。

 さんざん言われているように、地球は100億人を養うには狭すぎますし、今いる60億だか70億だかの人類がすべてアメリカ人並の贅沢ができる見込みも確実にない。

 でも、私たちは生活水準を下げるどころか、上げることにしか興味がない。

 そんな人類を待ちかまえているのが、生存圏としての機能がぎりぎりの地球なわけです。

 そうなったとき、どうするか。

 すでにポイントオブノーリタン的な場所を越えてしまい、あとは対処療法的なジオ・エンジニアリングしかない。

 

 このジオ・エンジニアリング。

 地球の気候システムという人類がどう考えても太刀打ちできないような大きなシステムに向かって技術で対抗するわけですから、無事ですむはずがないのです。

 というか、そもそもこのジオ・エン(長いのでもう略します)が技術的に可能かどうかもわからない。

 よしんば可能だったとしても、壊れた地球を根本から直すことができずに、対処療法的に扱えば、逆にもっと恐ろしいことが起こるのではとも思えてくる。

 

 これはもちろん現実の話なのですが、このリアリティって実はすごく大事です。

 なぜなら、扱っている問題自体が私たちのこの現実と確実に地続きになっているから。

 

 なので、この映画は表層的には兄と弟の葛藤、娘と父親の葛藤、気象衛星の国際的所有権の争い、気象衛星の不具合の修正、その不具合の背後にある陰謀の謎解き、というエンタメ要素をなぞっていくけれど、この物語を背後で支えている構造は、

 

 ①人類は目の前の日常を繰り返し(短期的な欲望を選択し)、

  長期的な視野で欲望を抑制することができなかった故の地球の環境破壊・異常気象(前提)

 ②地球は生存圏の危機に瀕したけれど、もう後戻りはできないほど地球は破壊されているため、対処療法的にジオ・エンで乗り切るしかない(やっぱり科学技術は万能であり、それゆえ人類は短期的利益の追求をいまもってやめない)

 

 ③しかし、巨大な技術は常に兵器転用のおそれがあり、今回も私欲から衛星が平和 利用から兵器に早変わりした(というか、この後に及んで、自国の利益を考えてどうする)

 

  という、グロテスクな構造が透けてみえる。

 

 映画を見ている間、冒頭から感じる曰く名状しがたい不快感というのは、この③つが相乗効果をもたらす人類への不信と科学技術への過信(人は地球システム言い換えれば神というか宿命をも手名付けられる)と反省のなさであり、そんなことはおかまいなく、最後はヒーローの犠牲(実は犠牲でもない)一つで地球が一見救われるという現実的とはとても思えないハッピーエンドだ。

 とはいえ、この映画に涙してしまう理由は、この手のディザスター(災害)映画にありがちな、ラストは危機を乗り切った人類が日常に戻っていくシーンが感動的だからだ。

 黒々とした空がはれ上がり、巨大サイクロンも、津波も引いていったあとに残された、人々の笑顔。

 この日常を守るために、一人一人が生きている……!!などとうるっとどころか、号泣もしてしまう。

 けれど、何度も言うけれど、この映画は表層で繰り広げられるエンタメ要素の背後に人類が確実に乗り切れなかった炭素社会というグロテスクな構造がある。

 この物語が、もっとずっと21世紀の人類の世界からかけ離れたものであればよかったのに、それがあまりにも私たちの世界と陸続きで、その発想もよく似すぎていているからこそ、私の心は引き裂かれる。

 心は感動しているのに、深層心理は吐き気を催しているという感じだ。

 

 それはテクニックに裏打ちされたセックスのようなものかもしれないと、思う。

 気持ちがいい。

 泣くという生理現象。それは快感だ。

 けれど、それは徹底的にテクニカルな作用であって泣かされているに過ぎない。

 そうして「単純に」映画に泣かされることで、自分が普通だと思える。

 うまいセックスをそのままいいと思える。

 けれど、体感的にいいことが心理的にいいとは限らない。

 

 異常気象を引き起こす温暖化問題。

 これは、私たちが住んでいる地球、インフラ危機の話である、このインフラがどうにかなってしまえば、家族の和解がどうだとか、セックスがどうだとか、家を買うとか、旅行とか、連続殺人事件がどうだとか、なにも言えなくなる。

 

 生存の危機。

 

 それは、核戦争のようなスペクタクルの果てになど望むべくもなく、ただ私たちが日常を送り続けた果てにあるものなのだ。

 

 

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(重力という問題がある以上、私たちは空へ逃げることはできないのかもしれません)

(というか、人類のスペックを超えなければ、地球を出ることは難しいのかも)

 

 というわけで、まあそんなことを思いながらこの映画には複雑な気持ちを抱いてしまったわけです。

 今後人類がどうなるのか、私は割と悲観的に考えています。

 でもそれは、私たち人類・ホモサピエンスの時代の終焉であり、その先に私たちを越える次世代が現れるのではないかという期待があったりします。

 それは、また別の機会でお話しようと思います。

 今回はこれで