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ぐだぐだ日記としか、、、

5月3日(木)ベトナムと日本の150年

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 (ベトナム・首都ハノイの旧市街・雑踏)

 

 

 ただ、日本を離れたい。

 だから事前勉強はおろか、滞在中もことさら歴史を学ぼうという気もなかった。

 けれど、それでもその風景は異常な気がした。

 その地というのはベトナムである。

 

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(旧市街 とにかくスクーターが多い。ほとんどヤマハ製 みな時速20キロぐらいで

 信号無視。歩行者も信号無視して、ゆっくり歩けば、向こうがよけてくれる)

(カオスの中の遠慮)

 

 

 ベトナムは、列記とした母国語が存在するが、その表記はアルファベットだ。

 漢字っぽい象形文字でもなく、蛇ののたくったようなアラビア文字でもない。

 そう、私たちのよく知るABCのアルファベットである。

 漢字を基礎としたベトナム語は博物館の展示品へとなり下がり、町じゅうにあふれているのは、アルファベットなのだ。

 アルファベット。

 それはベトナムの苦難の歴史を物語るもので、

 かつては大国中国、そしてフランス、

 日本の支配を潜り抜けた末にこの国が獲得した奇妙な文化のスープの

 根幹をなすものだ。

 

 

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(雑踏はとにかくうるさい。バイクのクラクションが、縦横無尽になっている)

(うるさい! と大声で叫びながら通りを歩いてもすぐかき消される(笑))

 

 

 大陸の末端に位置し、それゆえ中国の支配を受けたためにベトナム語自体は漢字表記に起源を持つ。

 中華の支配を受けた時代は、起源後1000年間。中国でいう漢から唐の時代。

 つまり、中国の全盛期だ。

 

 紀元後1000年は、その後のイスラム、モンゴル、大英帝国という世界史の

 メインストリームが入れ替わる以前のことであり、

 まさに中華の華々しい時代だった。

 

 この頃島国弱小だった日本は、

 中国に認められることで国際社会の仲間入りをするのでやっとであり、

 それどころか、中華をお手本に必死にこの偉大な師から学問をしていた。

 その初期の漢の頃は、金印をもらうことで、大和朝廷は周囲のハヤトやクマソなどの雑居集団から飛び抜けることができたし、

 唐の頃はシルクロードの魔都・長安の都を模し、平城京という首都建築、律令という政治制度を輸入した。

 

 その時期、日本を含むアジアの小国にとっての中国は、一方的に教えをこう偉大なマイスターのごとき存在であり、それこそたてついたところで赤子の手をひねるようにつぶされていただろう。

 

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(旧市街。通りが全部同じにみえて、迷う)

(日本にはない半コロニアル、中華とフレンチ。食べるとおいしいけど、町としては雑踏で入り組んだ迷路)

(あと、バイク(笑))

 

 

 とはいえ、日本の場合は日本海、そして中華と対立する韓国という国が沿岸にあったおかげで「いい感じの距離感」がとれた。

 しかし、大陸でつながっているということは、

 「ご近所」さんであり「スープの冷めない」距離であり、

 いや、それ以上に強権を発するマイスターのご機嫌を損ねれば

 即刻戦争という近さだった。

 

 そういうわけで、日本など足下にも及ばないレベルで

 ベトナムは中華の影響下にありつづけたというか、

 常に戦争をしかけられ、

 文化的には文字の表記に中華の影響を色濃く残す千年を重ねた。

 

 中華の衰退ののち、しばらく平安が続いたが、17世紀の中期以降、欧米列強の先兵、フランスの支配が始まる。

 この時期は中国の歴史で言うと、アヘン戦争のあたり、日本でいうと、明治維新から太平洋戦争終了までだ。

 この150年の支配は本当に驚くべきことで、日本に明治維新がなくて、そのまま欧米列強の支配があったら、ということを地で行く歴史だ。

 

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ベトナム人の移動手段はバイク。

 イタリアの縦列駐車ならぬ、並列駐車。道が狭くなって、歩道側では食事をしている現地人がいて、やむなく車道をあるくはめに)

 

 なので、これを書いていてふと思ったのは、高杉晋作坂本竜馬あたりと一緒にめぐる現代のベトナムツアーなんてものがあったら、もうなんていうか大変なことになるだろうと思うのだ。

 晋作は「それみたことか」というかもしれないし、竜馬はどうだろう?

 彼はにやにやしたあと、すぐに悲しそうに微笑むかもしれない。

 ベトナムはそういうわけで、その末期にフランスだけでなく、日本の支配も受けるが、その後革命家ホーチミンによって二国からの独立を成功させる。

 

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ホーチミン。建国の父だが、その風貌がただのおじいさんに見えるため、

 ポストカードをお土産にしたら、祖母に「これがベトナムの農家のおっさんの写真か」と言われたという。。オーラだせよ!ホーチミンなんてね、、すみません)

 

 今、外国人がベトナムを旅行して目にするものは、アルファベット表記の看板であふれるアジアの雑踏だ。

 これが何を意味するのか、想像することは難しい。

 大国の近隣で、常にその影響下にありつつも、ベトナムという地域性はたくましく生き続けてきた。

 しかし、かつての中華に起源を持つベトナム語は消え去り、フランス支配の残したアルファベット表記にベトナム語は変化した

 それをインターナショナルといっていいのか、異国情緒ととっていいのか。

 ただ、それは日本がたどってきた道とは違いすぎており、言語の表記を奪われることがどれほどのことなのか、実のところ私にはよくわからない。

 

 思い出すことは、ある本の一説だ。

 

 戦争の最大の目的は、相手の思想と文化を奪うことだ。相手の価値観を奪い、こちらの価値観に染め上げること

 それは、いわゆる精神的支配であり、アジアの片隅の国の言葉と文字という思考を白人の使うアルファベットに染め上げたということに対して、他人事ではないなにか怒りのようなものを感じずにはいられない。

 

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ベトナム戦争の有名な写真。今は博物館になっている刑務所博物館のポストカードにもありました。こんな悲惨な戦争がたった40年前にありました)

(映画だけはいっぱい見てる。プラトーンフルメタル・ジャケット

 

 しかし、その怒りの理由はわかるにしても、どんな怒りの種類なのかは、実のところわからない。

 それは、日本もまた違う形で欧米色に染められているからなのではないかと思う。

 そして、またしても、もし、ここに高杉晋作坂本竜馬の二人がいたら、今のベトナムと日本と見て、なんというだろうか。

 私は彼らがなんとなくこの状況を楽しんでくれるような気がする。

 純粋というのはおもしろくない。

 今では国民国家という概念になってしまった日本、日本人という感覚。国境線という言い方をしなければ、その土地に根ざした地域性。

 そういうものは、たとえ外からどんな支配をされようとも、しぶとく形を変えて生き残っていくような気もする。

 それとも、そんなおおらかな気でいられるのも、日本が明治維新をやり遂げ、なんとか植民地という表向きの支配を逃れられたからかもしれない。

 だから、こんな私と見たら、二人とも、「そんなことを言ってられるのは、幕末に大量の日本人の血が流れたからだ」と怒るかもしれない。

 そんな思いもあって、強い日差しに照らされたベトナムの雑踏をあるくと、維新を成し遂げた日本人への誇らしさがふいに湧き上がってくるのだった。