NANA★LAND

ぐだぐだ日記としか、、、

4月20日(土)戦闘的な女友だち

f:id:hagananae:20180421153023j:plain

(戦闘的女性代表 サラコナーw 永遠の女戦士アイコン)

 

 

 昔はこうじゃなかった。

 昔は、もっと穏やかでほんわかしていて、のんびりしている女友だちが多かった

 女の子らしくて、彼女というよりいいお嫁さんになるような子が好きで、自分が男だったらこういう子を嫁にする、というような女友だちが多かった。

 

 

 いつの頃からだろう。

 戦闘的な女友だちとやり合うのが普通になったのは。

 

 気がつけば、私の周りにはお嫁さんにするというより、一緒に戦争に行くなら殿を任せられるような女戦士風な同性が友だちとしてしっくりくるようになった。

 

f:id:hagananae:20180421153251j:plain

(映画ハクソーリッジ→そういえばレビュー書いてました)

 

 まったく、自分はどんな戦場的人生を送っているというのだろう。

 右を向いても左をむいても、戦っている女ばかり。

 それも、わかりやすい戦い方で。

 そう。

 それは、社会という名の男の戦場での戦い方だ。

 

 最近は、何か意見を言っても、

「ななえは正しいよ」

 と、うなずいてくれる女友達よりも、

「それって違うと思う」

 と、露骨に疑問を呈するような女友達が多くなった。

 彼女たちを前に、私は「説明」なり「答弁」なりをして、とりあえず、共感は難しくとも「理解」まではこぎつける、というようなフローが多い。

 

 まったく、自分はどんな戦場にいて戦略を練っているというのだろう。

 

 たしかに私はこの年まで結婚もせずに妥協もせずにやりたいことをひたすら楽しんで来た。

 もちろん、代償を支払ったにせよ、リスクに対するリターンは大きいと信じているから、自分の選択に納得はしている。

 しかし、結果としてつきあう友だちの質が極北へと向かっていったことだけは確かだ。

 見渡せば周囲は独身女性ばかりで、それはそれでいいのだが、もちろんよいことも悪いこともある。

 

 まずは、いいこと。

 昔は議論をふっかけてきたり、筋の通った意見を持ち、かつ主張をするような女友だちとはつきあうことを考えるだけで疲れた。

 今は、それが心地よい。お互いに対する異論をぶつけあい、「そんな価値観も存在するの?」と協議を続ける中で、自分自身の価値観も浮き彫りになる、その課程が楽しい。

 これは、なんというか議論が楽しいというか、異質を楽しめるタフさというか、そんな価値観のバックボーンがあると思う。

 

 昔は「ななえはそれでいいんだよ」とゆるく肯定してくれる女友達こそ、癒しになった。

 今は、それが生ぬるい。

 

 

 

f:id:hagananae:20180421153529p:plain

(でも、私はなんでも許容してくれるムーミンママのような女になりたいのです)

(いや、うそじゃないって。本気です。ムーミンの好きなようにやりなさいって母親になりたいのです)

 

 

 おそらく、私が戦闘的な女友達とつき合えるようになった理由は、他人との葛藤より、自分自身との葛藤が強いからなのではないかと思っている。

 昔は、その自分自身の葛藤、自分が自分を認められないそんな部分が強くて、外部からの無償の肯定を強く求めていた。私自身が弱かったのだ。

 しかし、いつの間にか、自分自身を貫くために、自分の脳内議論が他人からの批判よりも過激になり、むしろ他人から何を言われても、私のファイナルアンサーはすでに決まっているという確固たる信念が確立されてしまった。

 

 

f:id:hagananae:20180421153650j:plain

(ほとんど関係ないけど、映画脳内ポイズンベリーより。

 私の場合、この脳内会議が、苛烈すぎて、他人との葛藤がぬるく感じるという。。。)

 

 

 それは、社会という戦場を生き抜く上で必須アビリティだったかもしれないが、それを会得したことは残念でもある。

 それは、女性的な何かを喪失している気がするからだ。

 

 そういうわけで、私はいま、強い人間とつき合える。

 これは、私にとっては新しい気づきであり、強い人間とつき合えることは、新鮮な刺激もである。と、同時になんだか切なくもなる。

 つまり、いつのまにか私は揺るぎない自分というものを持った女になってしまい、自他認めるそんな感じの風味をまとった女になってしまったのだ。

 それが、快感でもあり同時に不快もである。

 

 とはいえ、時には私も迷うこともある。

 そんなとき、今の私をよく知る友人は

「なんだかななえらしくないね」

 と言ってくる。

 そんなとき、ちょっとうれしくなる。

 友人は首をかしげる

 私は少しほっとする。

 白黒つけられず、右往左往している自分がかわいくて好きなのだ。

 もともと、揺るぎない人間ほど、かわいくないものであるし、私は本来迷っている弱い人間が嫌いじゃない。

 私だって昔は今より、ずっと迷いまくり、決断できず、どっちつかずで、ふらふらしていたのだ。

 そんな自分が時になつかしい、と言ったらわがままだろうか。

 

f:id:hagananae:20180421154025j:plain

(わがままに決まってるでしょw)