NANA★LAND

ぐだぐだ日記としか、、、

10月15日(日)消防団なんてなくなってしまえばいい

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マクドナルドじゃないよw 消防だよ)

(今回は怒りの叫びがメインになります)

  

 日ごろ、のほほんとした性格なのでめったに腹を立てることがない私(鈍感なだけじゃ)だが、思い出すだけでいらいらすることがある。

 消防団だ。

 結論がタイトルそのものだが、まじで心の底からなくなってほしい。

 いや、消防団という存在がではなく、むしろ消防団を熱烈に愛し、時代のニーズも現実的な若者の置かれた状況も無視し、無茶な思い込みをつきつけてくる年寄世代に消えてほしい。

 それくらいイライラして、心底頭に来ている。

 とにかく、消防団よ、消えろ。

 その前に、消防団をただ存続させたい年寄いなくなれ。

 と、言うのが今回のブログの趣旨です。

 

消防団なんか大嫌いだ】

 消防団という存在をみなさん、知っていますでしょうか。

 田舎や地方で暮らしていて、かつ成人した男性ならばこのフレーズを聞いたことがあるでしょう。

 聞くだけでなく、加入を強制されたことさえあるのではないでしょうか。

 この地域というか近所というかコミュニティ単位の自助防衛組織が「消防団」であります。地域で火災や事故や洪水(川の水があふれるとか)が起きた場合に招集がかかり、団のメンバーは現場に駆けつけて地域を守るために働きます。

 最近は、めったに近所で火事が起きることもなくなりましたが、私が幼かった30年くらい前は、近所で雨が降るたびに増水した川の水があふれ、そんな夜は帰宅時間が早かった父親消防団員として、とるものも取らず消防服に身を包み、現場に急行したものです。

 

 例によって父が関わるものはすべてクールではないと判断していた私は、消防団も父のギターやバイクやロックやつりや将棋や囲碁パソコン通信と同じようにダサいものだとカテゴライズしていました。

 

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(今では父から私に消防団も世代チェンジ)

(私も学生時代はチャイナドレスに網タイツはいていたけど、まさかこんなコスプレは未体験w)

 

 

 大人になり、自分が父と近い公務員になり、行政職員として政治家の近くで働くようになり、そこではじめて功労者という言葉をしり、それにカテゴライズされた人々が亡くなったときに町長が弔辞を読むというしきたりに触れ、それを秘書である自分が執筆するに至り、地域の発展や治安の維持に貢献した人々に対する尊敬がはじめて生まれました。

 そうした地域の人々への尊敬というのは、こうした環境があったからと言って、簡単に芽生えるものではなくて、私の場合は自分が仕えることになった町長がそうした地域の人々への深く温かいまなざしを持っていたからでした。

 政治家がすべて名もなき地域の貢献者にたいして尊敬と畏敬のまなざしを持っているわけではもちろんなく、私がたまたたま仕えた人がそういう政治家だったからこそ、私はこうしたことを学び、感じるチャンスに恵まれました。

 

 しかし、まさか自分が消防団員になってしまうとは夢にも思いませんでしたし(規律と訓練はもっとも苦手をするところなので)、まして本来誇りをもって取り組めるはずの消防団員の職務に対して、とことん嫌気がさし、消防団員を統括する年寄連中に消えてほしいとさえ思うようになるとはこれまた夢にも思わなかったのでした。

 

【入団の経緯……あれは5年前のこと】

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(日本全国で行われている消防ポンプ操法大会)

(私は応援とアナウンスで6回ぐらい出てます)

 

 例によって、私の後先考えずにアクションを起こしてしまったことがそもそものはじまりでした。

 あれは、五年前。

 「ユー、消防団やってみない?」

 私に当時声をかけてきたのは、地域防災を統括する部署の同僚でした。

 私は例によって深く考えもせず、

「ミー、やるやる」

 と、OKサインをすぐに出してしまいました。

 今思えば、全力で、過去の自分自身を阻止したいところです。 

 というか、同僚にもそんな女性消防団なんていう組織をつくろうなどと何がなんでも発案させるべきではありませんでした。

 でも、いまさら後悔したってはじまらないのです。

 

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(後悔……)

 

 それに、それがわかったとしても、私はやっぱり同僚の誘いは断れなかったと思います。

 これは、気が小さいからではなくて、変にボランティアには協力しようというか、頼まれたらやってみなくちゃね、という変な義侠心が私の中にあるからです。

 これは、公務員として私がただ一つ自分自身に課している掟のようなもので、公務員という職に夢も希望も持たない(持てる気がいまだしません)以上、仕事で私が大事にしなければならない信念は、「職場の仲間を大事にして、信頼関係を築く」ということだけなのです。

 この信念があれば、仕事仲間を大事にしますし、大事にする以上、仕事もおろそかにしない、という地味というかある意味で最低限の人として生きていく目標が成立します。

 そういうわけで、私の職務に対する愛情はその程度であり、しかし、そうである以上、自分から走ろうという気はなくも、仕事を大事にしているある同僚にレッツランと言われたら、ウィズユーwとレッツランするのが私の人生の指針なのです。

 

 

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(みんな、ボランティアの意味って知ってる?)

(職場では自主的って書いて、強制的って読むのよ)

 

 そんな浅薄な動機でレッツランしようとしたとき、当時の私の直属の上司(クールすぎるミリオタ、城オタクの40歳の独身で、旅行に行くたびに旅先で私の大好物のビーフジャーキー買ってきてくれる)は、

「あとで後悔するぞ」

 と、私を止めたものです。

 もちろん、私は彼の意見など聞きません。

 なぜなら、やらないで後悔するよりも、やって後悔するのがまだましだと思っていたのが、当時の私だからです。

 

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(むしろ、上司は後悔するぞ、と言っていたね……)

(しかし上司のキャラはリヴァイとそっくりです)

 

 残念ながら私は上司と司馬遼太郎ファンという共通点はあっても、彼が歴史から人生を学ぶのに対して、私は経験から学ぶという大きな違いがあったからです。

 賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。

 私は後者の愚かものであり、同時にどこかで私が上司を許容できない唯一の点がこの保守的すぎて神経質な部分なのです。

 しかし、今になって思えば上司は私よりも十歳も上であり、役場というか消防団という組織の旧態依然とした体質をよく知っていたのでしょう。

 意気揚々と入った消防団を心底憎むようになるとは、このときの私は夢にも思わなったのです。

 

 消防団を憎む理由。

 

 それは、私たち女性消防団に無意味で無理な要求ばかりをつきつけてくるからです。

 その代表的なものが火消に行けというものです。

 女性があの重いホースを持って火消に行くというのは、誰が考えても現実的ではありません。 

 

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(火消=地獄といっても過言ではない……)

 

 

 そもそも女性消防団の存在意義と仕事とは、心肺蘇生を含む救命活動の普及と、防災の広報活動です。

 それを、男女同権という乱暴な理由で、女性にも火消をしろというのは、とてもまともな考えではありません。

 でも、こういうことを平気で突きつけてくるのが消防団を統括する年寄なのです。

 

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(長老、無理言うのやめてくだせえ)

 

 そもそも、こんな要求をされるのであれば、そもそも入団をOKしたはずがありません。

 当時の話では女性消防団のメインの業務は救命講習という名の心肺蘇生方法や応急処置を地域の人たちに講習するということでした。

 だいたい、ホースを振り回すなんて、どう考えてもこの超絶インドア派の私にできるわけがないし、そもそも自主的とはいえ、ほぼ職場に半強制的に徴兵された私たち、しかもそのほとんどが文系にかたよった女性が火消なんてものができる体力があるわけがない。

 私たち女性消防団員は結局、地域になり手がおらず、町役場の女性職員が9名、半強制的にかき集められて成立しました。一年目は、消防署で24時間の講習を受け、仕事の合間に講習という名で職専免の休暇をもらい、消防署や地域の学校に赴いて、子どもや地域のお年寄りや企業の人々を相手に講習をすることになりました。

 私たち女性消防団は仕事を休んでこの救命講習の業務に行っているのです。

 

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(公務員の消防団加入はほぼ赤紙と同じ威力が……)

 

 女性消防団が役場職員である理由がこれでわかると思います。

 平日の昼間に、一般の仕事を持った人が仕事をぬけて、救命講習にいけるわけがない。

 しかし、私たち女性職員が講習に出席するために仕事を一生懸命調整して講習に行っているにも関わらず、消防団の上層部、言ってみれば消防団をとりしきる村社会の長たちは、「ホースを持たない女子は意味がない」と消防訓練やホース作業に駆り立てようとします。

 まったく私たちの救命講習や広報活動は意味がないと思われています。

 しかし、本当に火消をすることに意味はあるのでしょうか。

 

【現代に火消のための消防団って意味があるの?】 

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(自治消防のはじまりは、徳川吉宗の時代、町火消・常火消しからはじまりました)

(浮世絵で有名な歌川広重もなんと常火消しの役人でした)

 

 消防団ってそもそも必要なのでしょうか。

 私は女性消防団が救命講習をしたり、休日に事故防止や火災防止啓発をするようないわゆる広報活動をすることは意味があると思っています。

 これらの活動は未然に火事を防ぐための防災活動の一環だからです。

 一方で、男性消防団は私たちと同じボランティアですが救命講習の免許はなく、火消のみを担当しています。

 しかし、年々火事自体が減っているのが現状で、男性消防団の活動のメインはポンプ操法というイベントのための過酷な練習になっています。

 この活動こそ、民間人にとってはかなり参加が難しく、私の地域で言えば例によって役場の男性職員が40歳を過ぎてまでずっとやめられず衰えた身体にむちを打って参加しているような状態です。

 繰り返しになりますが、消防団の火消って本当に必要なのでしょうか

 火消をする人が地域の中で、高齢化のために減少し、かつ若者は仕事の重責もあるなかで、若い人たちに上の世代が「俺たちもやってきたから、お前たちも当然だ」という罰ゲーム的な立場を押しつけることは、いまどきはやらないんじゃないかと思うわけです。

 金銭の見返りがほとんどないボランティアである以上、消防団には持ち回りの犠牲者ではなくて、心からやりたいと思わせるような魅力がなければならないし、それよりも、地域防災の観点から本当に必要なのかが一番の問題点です。

 超高齢社会が進む現在、消防団員が地域から徴発できなくなるのは時間の問題です。実際、私の住む地域では、団員が足りな過ぎて、宇都宮市から引っ越したあとも、遠くから消防団の集まりに来る人もいるのです。

 こんな状態では、実際火事が起きたときに、動けるものではありません。

 だったら、消防団は廃止にして民営化に踏み切るしかないのではないのではないでしょうか。たしかに民営化にはお金がかかります。

 一人の消防署職員を雇用すると年間600万かかるところ、消防団員であれば10万円ぐらいで安く使えるので、予算の関係で職員を増やせないのかもしれませんが、どの地域も消防団の存続が難しいなかで、その根拠も若者に説得できないまま、いつまで強権的に火消の人員を増やせと、わめいているのでしょうか。

 私たちはボランティアであり、本来いつでもやめることはできます。

 しかし、地域の貢献したいという気持ちも少しはあります。

 だから、いやいやながらも辞めるとは言わないでいます。

 しかし、堪忍袋の尾がきれて、絶縁状を突き付けるも時間の問題であり、私たちの後の世代は見向きもしなくなるかもしれません。

 たしかに自分たちの地域を自分たちで守っていく自治の精神はとても大切だと思いますが、ただ命令をして、さして意味もないやり方を続けていくだけでは、なり手の心は離れていくばかりです。

 もっと自分たちが心から守りたいという気持ちを根っこにした組織に変えていくのが大事なのに、それが上の世代から伝わってこない。

 それは、上の世代もまた、罰ゲームだと本質的に思っているからではないでしょうか。

 でも、地域を守ることは、本来罰ゲームであるわけがない。

 本当は誰かのためになると思えるからつらいことも一生懸命になってやれるのです。

 しかし、消防団にはそうしたものがない。

 やっても認められないし、それどころか罰ゲームだけを押しつけられる。

 

 もういい加減、やり方を考えていくべきなんじゃないか。

 先日、群馬の山間部の地域が自治体に頼らず、地域の防災マップを作製し、避難所も地域をめぐって自分たちで作っているというニュースを見ました。

 県や町がつくるおおざっぱな防災地図では、逆に災害が起きたときに避難所が危ない場所あったりと、そこに住む人たちだからこそわかる避難場所というものがあることに気がついたからだそうです。そこで自分たちの足で歩いて地域を把握、強力を呼び掛けて、連携をとることになりました。

 これが、行政の力をかりずに自分たちが自分たちの地域を守るというごく当たり前の姿です。

 消防団にこだわる人たちのなかには、こうした地域の連携を目的としていざというとき、顔を互いに知っている関係づくりためにも、消防団に入るべきだということをいう人がいます。

 この論法は、一瞬もっともに聞こえますが、大いなる誤解です。

 私は実際にこの手のトークで年長者が入ったばかりの男性職員を脅迫的に団員に無理やり組みこんだ例をたくさん見ていますが、これは完全に手段と目的を混同しています。

 なぜなら「地域の連携」は手段であって目的ではないからです。

 地域を守るため、自分たちの住む場所をよりよくするために、連携するのであって、連携をするために何かするのではない。

 何かするために連携するのです。

 私の住む地域は、そういう意味で自主的に地域のイベントを開催し、最近では近所の大人がこどもたちのために山を切り開いて、子どもの遊び場をつくったりしています。 これは、子どもたちに豊かな田舎を残すために地域が協力しあった結果であり、その過程で地域が否応なく連携することになったのです。

 

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(地元の親父の会がつくった森の中のツリーハウス)

(月末に子供たちとともにハロウィンパーティが行われます)

(私も悪魔、としてコスプレ参加)

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(子どもを歩けるようにウッドチップをしきました)

(こういうことをしてくれる大人がいると、子どもは嬉しいですよね)

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(近所の河から森へつながる手作りの橋)

(近所の親父の会が制作)

(まるでスタンドスタンドバイミーw)

(ウィズ 大人だけれど、子どもは嬉しいよね)

 

 

 こうした大人たちを見ていると、自分たち若者も何かできないか、と協力しようという気持ちなります。地域の大人たちの愛情を子どもたちが感じるのです。

 地域を守る、地域を愛するという態度と心は上の世代が行動と表せば、必ず下の世代に伝わっていきます。

 今の消防団には、そんな誇りも必要性も感じられず、ただ持ち回りの罰ゲーム感だけが蔓延しています。

 なぜ必要なのか。

 そこが、抜けてただ存続のことだけ考えているから、若者に消防団なんか消えろと言われるのです。

 かつて必要とされていたものもいつかはその必要とされ方が変わる。

 永遠なんてない。

 下の世代が心から地域を愛せるようになるには、上の世代がまず地域を愛するやり方を変えてくれないとな、と思うのでした。