NANA★LAND

ぐだぐだ日記としか、、、

10月6日(金)田舎に住む理由~そしてエイリアン4~

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(エイリアン4より:しかしこちらのサイトの映画はレビューではなく感想でさえありません。つまり、見たよ報告笑)

 

【個体の死は種全体からみれば、想定内】 

 飛ばない赤とんぼは目だつ。

 その赤とんぼはアスファルトに横たわっていて、私はあと少しで踏みつぶしそうになった。

 手にとってみると、羽も手足もきちんとくっついている。

「どうしたのよ」

 声をかけてみても、もちろん返事はない。

 しかし、よく見ると全身真っ赤なそのトンボは首の部分がまるでねじを回すように曲がっていた。

 それは通常の可動域を超えており、動かなくなってしまったのはそれが原因のようだった。

「かわいそうに」

 私は、トンボをそっと道路の隅の草の上に置いた。

 持ち帰るわけにはいかないし、埋めてあげる時間もない。

 立ち上がると、ゆるく秋風の吹く曇った空に無数のトンボたちが舞っている。

 そのほとんどがカップルだ。

「お前も一人で死んでいくんだね」

 私は言葉だけは感慨深く、その場を離れた。

 

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(まじまじと見ると、昆虫ってまじでメカですよね)

(しかもこの色彩。かっけええ!!)

 

 これは、今週昼休みに職場の周辺をウォーキングしている時の出来事なのだけれど、周囲が田園地帯のため、いまどき書類が山積みの事務所で一日を過ごす私にとってはいい気分転換になる。

 職場の人間関係は良好で(退屈でもある)、職務の内容は退屈で(だから良好でもある)、時々自分がひどく場違いな場所にいると思うことがある。

 けれど、そうした違和感というのは思い込みの部分も多く、分相応というのが現実的な視点だと思う。

 ただ、現実というのは自分の考え方しだいで、どうにでもなってしまう部分も多いので、そういう思い込み由来の不安定な部分を抜きにすると、この田舎に住んでいることはとても興味深いというか、本能的にここではないと生きていけない気がしている。

 その理由は、田園地帯、というか田舎の風景に死が蔓延しているからだ。

 生物はかならず生まれた以上死ぬ運命にあり、生物は生物を食べることでしか生きられない。

 都会に生きているとそういうことを忘れがちになるし、スーパーで売られている肉の切り身の背後に食料にされるために生まれさせられた大量の悲惨な動物がいると想像できるほど人間は強くも賢くもない。

 

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(虐待といえば、こっちのほうが虐待ともいえる。。哀しい現実)

 

 

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(先日読んだ『サピエンス全史』にも記述のある家畜のつらい人生)

(考えると食べられなくなりますね。ありがたいけれど、一生をこんなスペースですごす養豚たち)

 

 しかし、それこそ事実で、人間は自然の中で生きており、自然というのものは容赦がない。

 赤とんぼの死は、自然界では起こるべくして起こるもので、一個の個体が子孫を残せずに死亡することは、トンボ全体としての「種」としては想定済みだろう。

 だから、あの赤とんぼ一体の死は、赤とんぼの種全体にはほとんどなんの影響も及ぼさない。

 そのことに安心するし、同時に哀しくもある。

 赤とんぼ一体の死の頭上には、生をつないでいく無数のカップルが存在する。

 そう自然の風景を見ていると、私たちの人類も個体としては、その生死にあたふたするものの、種全体としてみれば、それこそどう考えてもなんてことはない。

 人口爆発だというけれど、たぶん人類という種を超えて、生物を作り出した自然という存在からすれば、きっと「行けるとこまで行けばいいさ」というのが本音なんじゃないかと思う。つまり、人類がどうなろうとさほど気にしていない。

 そういう生物学的というか地球視点というか、宇宙的視点に立つと、個体の生死はそれほど重要ではないというような悪魔的な気分になる。

 

 

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 (私はお金があっても、高層ビルには住めないと思います)

(郊外といわず田舎の一軒家がいいです。こんな都会はこわくて、、、渋谷苦手笑)

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(住むなら南フランスです! 生まれ変わったら住みますw)

 

 自然的風景の中で生活をすることは、人工物ばかりに囲まれた都会では感じられないこうしたある程度の達観というか気持ちよさがあり、私はそういう悪魔的な気分のおかげでようやく人間界という場所で生活していける気がする。

 

 ただし、そういう達観した気持ちが私の一部ではあるけれど、最近の一連の流れでは、核攻撃並の打撃が私の本質的にヤワなハートを直撃した。

 それは、動物虐待映画を見てしまったことだ。

 その名も『エイリアン4』

 

【孫虐待映画~エイリアン4~】

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(やっと本題ですw今作のシガニーはまじでかっこいいですw)

 

 『シンゴジラ』で、自衛隊が巨大トカゲを爆撃する「虐待」を避けて、ほっとしたのもつかのま、『パトレイバー3』で巨大水生生物が人間の癌の遺伝子を受け継いで、人間的な肉体に変化したものを、自衛隊が炎で焼き殺して「一瞬虐待」となり、しかしながら、ついにこの「エイリアン4」では、人間リプリーから生まれたエイリアンがついに、「人間に」近づいた容姿になり、生物学的祖母であるリプリーを識別し、甘えるしぐさをし、しかしリプリー生物兵器としての存在でしかない「我が孫を殺害」してしまう『孫虐待→死』のもっとも避けたいシーンを見るは目になってしまった。

 

 なんてことだ!

 ずっと避けてきたのに!

 後悔してもしきれない……

 

 みなさん、何を今さらと思うかもしれませんが、なんとなくエイリアンシリーズを見返しみようと思ったのです。ほんとうになんとなく。

 しかし、ふたを開けたら、悲惨な物語でした。

 御存じエイリアンシリーズは、すべて監督が違うのですが、「エイリアン4」はジャン・ピエール・ジュネ監督。「デリカテッセン」「ロストチルドレン」「アメリ」と、ダークでキュートな映画をとる監督ですが、私はどういうわけかどの作品も内容が思い出せません。

 断片的に、すごい美少女がフラッシュバックするのですが、ストーリーというと……(笑)

 

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(今回の死亡パーティの一員。なんとこの方見たことあると思ったら、CSIラスベガスでずっとウォリック役だった人です(名前言え)ウォリック途中で降板したので、CSIでも突如死んで、ほんとつらかった。。いい役だったのになあ)

 

 

 さて、この「エイリアン4」では、前作で胎児(エイリアン)とともに溶鉱炉に飛び込んだリプリーは死亡。

 その後、科学者たちによって生存時に残されたリプリーの血液から、胎児ごとクローン再生します。今作のリプリーはそうして再生された個体の8番目にあたり、彼女の肉体から生み出されたエイリアンは人類の遺伝子を取り込んで、爬虫類から哺乳類に近づきます。この近づき方が、切ないラストにつながるという仕様。

 エイリアンは、見た目爬虫類なのですが、骨格というか外壁(外骨格)は超合金に近いらしく、血液は強酸。全然そこらへんにいる生物ではないのですが、卵生という見た目に反して原始的な生殖方法です。このあたりが、生物的に賢いけれど、脳は恐竜に近い所以かもしれません

 

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(私はまだジュラシックワールドを見てません。。

(私はまだジュらしくワールドを見てません。しつこい

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(好きな恐竜はラプトル系 機動力に富む、頭脳プレイが好きなのw)

 

 

 このエイリアンの『餌を食いまくり強いという設定』はまさに恐竜であり、相手が恐竜であるかぎり、コミュニケーションも成立せず、人間とエイリアンはやるかやられるかという対立構造でしかとらえられませんでした。

 しかし、今作では、エイリアンが哺乳類的進化を遂げたせいで(おかげで)リプリーという血をわけた人類と生物学的にも近い位置になり、祖母を識別する能力や、祖母に甘えるという仕草まで会得してしまいます。

 しかし、エイリアンは生まれてはならない生物兵器であり、リプリーは自ら我が孫の命を絶つことになる。しかも非情な方法で。

 

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(泣けるシーンです)

 

 

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(反則だ、反則だ、反則だ~!! 中に人入ってるのかな。。人の目だよ。。。)

(表情があるよ!!)

(部屋で飼ったらかわいいだろうな。。散歩するの大変だなあ。散歩されそうだなあ)

 

 

 

 エイリアンがリプリーによってやむを得ず殺害されるシーンでみせる、エイリアンの切なく悲しげで驚愕の表情は、これまでのエイリアンでは描写ができないものでしたが、今回はもう頭がまんま人間の骨格になっており、「表情の創出」が可能です。そうした喜怒哀楽を持った生物は、もはや恐竜のようなマシンのような単純な兵器、脅威ではなく、ある程度のコミュニケーションを成立させてしまう、ペット的な位置に接近します。

 そうなれば、このシーンは親子の今生の別れであり、こんな絶望的な別離を強制した人類の所業に憎悪をおぼえるばかりです!

 まったく!

 そういうわけで、予想外に精神的ダメージをこの映画で負ってしまった私は様々な妄想が脳裏に飛来しました。

 生まれてきた悲しみ。

 生まれさせられた悲しみとしての兵器。

 私は常々自分に対して「生まれてきて申し訳ない。ふがいない」という絶望に近い反省の気持ちと、こうした私をこういう仕様で私の母の肉体を使い、この世に私を送り出した神(ととりあえず呼んでいますが、なんかえらそうで気に食わないやつです)に絶望にちかい憎しみを抱いているので、こうした妄想をもつ以上、兵器のような欠損ととられかねない長所を持って生まれた生物には親近感というか、重い感情移入をしてしまいます!

 

 はあはあ(つい息が荒くなってしまう)

 

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私の神のイメージ。すごい人事異動を発動するうえに、お前はできる、俺はできると思うんだ。いや、まじ行けるって とか平気でスーパーポジティブに無理なミッションを部下に与えてる人。でも悪気ない感じ。やれやれって感じ)

(神、、やっぱむかつくわ(笑))

 

 そういうわけで、この壮大な動物虐待シーンの精神的被ばくをばねにして、創造の世界へ旅立つ糧にしたいと思うのであります、とまとめて深呼吸します

 

 では、いってきま~す。

 やっと、金曜日です。