NANA★LAND

ぐだぐだ日記としか、、、

10月2日(月)散歩と旅のすすめ(日常をもっと愛するために)

 

 

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(夜散歩すると、こんな風景が見えます(心の中に)

 (宇都宮は田舎ですが、さすがにこんなには、、、笑)

 

【歩けばなんとなるという考えって……】

 気分が重くなる前に歩けばなんとかなると考えている。

 生理前はとくにそうで、痛みは薬で抑えられても、なんとなく人生のすべてが前に向かない気がする。

 それも、とことん。 

 永遠に。

 集中もできないし、思考は人生を終わらせる方法ばかり考えてしまって、らちがないので、そういうときは歩くことにしている。

 歩くのはいい。

 

 歩行禅という歩きながら瞑想するということもあるが、そんなことを考えずにただ歩くだけでも気持ちがよくなる。

 私が歩くのは、朝、昼、夕方、深夜、時間を問わないけれど、とくに夜歩くのが好きだ。

 田舎なので、空が半円形に見える。

 

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(いや、だから宇都宮はこんなに見えんから(笑))

 

 

 長野や北海道のように、もしくは関東平野が見渡せるような真っ平な場所ではないけれど、山並みやビルに遮られることなく、それなりの半円形の空が見渡せる。

 その空を見ながら歩いていると、「どうにかなる気がしてくる」

 頭上には星々が広がっており、それらを見ると、数百年後や数百年前のことを考えたり、具体的には縄文時代のことを考えたりして、不思議な気持ちになる。

 必死に考えても、仕方ないよ、と気持ちがすとんと落ちていくような気になる。

 そういうわけで、そんなポジティブな諦観の念は空を見ているだけでは、たどり着けない。

 やっぱり、歩かないと

 

【散歩の効果ってあると思うんだ……】

 

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(近所のゴルフ場をつきぬける山道。がんがん歩いています)

 

 散歩はその意味で、家や事務所という自分の縛られた空間のごく近くでも、心理的にその「物理的拘束」から引っぺがしてくれる効果がある。

 平たく言うと、それがリフレッシュというやつで、時間がなかったり、適度な気分転換に散歩はすごくいい。

 私は音楽も聴かずに、ぼーっと歩くのが一番すきで、ラジオやクラシックやJポップや朗読を聞きながら歩いたり、必死にランニングする場合は、それは体力づくりになってしまう。ランニングやウォーキングはどこか脳を使い、かなり交感神経に作用するので、執筆や仕事が重なっているときに本気ウォー&ランをすると、吐いてしまうことがわかった。

 なので、私の場合はがんばっているときは、何もせずひたすらぼーっと歩く。

 

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(山道をあるくと、ついどんぐり拾ってしまう。木の実がかわいくて好きだけd、虫わくよね。恐怖!!)

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(ゴルフ場で拾ったどんぐり。。爪の色、どどめ色だよ?)

 

 一人で歩いていると、色々な事が浮かんで来るけれど、一キロを過ぎた地点で、「もうどうにもでなるし、どうにもならんよ」という例の諦め気分がきて、なるようになるという実践的な気分になる。

 ここで辞めるのがもったいないので、もう少し歩いてみると、この実践的な気分の先の具体的なアクションが浮かんで来る。

 ここで辞めるのが得策で、この先を続けると、実は変な脳内麻薬が出ているらしく、やたらハイテンションになって、本気でランニングをしたり、全力走を取り入れて、吐くということになったりする。

 

 散歩はひとりでしてもいいけれど、家族や友人としても、ちょっとした非日常が手軽に味わえる。

 昼休みに同僚と、休日に母や妹と。

 家や事務所から離れて景色をぼーっと体感しながらべらべらしゃべっていると、いつもとは違う話ができる。

 散歩はいつもとはちがったつっこんだ会話も可能にしてくれるので、散歩ができる関係は仲良くなれる。

 そういえば、この散歩を教えてくれたのは大学時代の恋仲だった男友達で、彼はいつも早稲田の町を喫茶店やバーでおしゃべりするよりも、外を歩きたがった。

 東京は否応なく歩かねばならないところだけれど、彼と下町を歩いたあの頃が、よく考えれば私の散歩の根っこになっているのかもしれない。

 そういうわけで、私は今も、近所を徘徊している。

 散歩にはリフレッシュの効果があると思うけれど、それは距離とも関係していると思う。

 

【体の距離はこころの距離(なんだこのエロくてださいタイトルは)】

 物理的な距離は、心理的な距離とそのままつながっているので、気持ちを変えたければ、できるだけ遠くに行くというのもいい。

 本当は文化さえ変わってしまう海外に行ければいいのだけれど、言語やそれこそ文化のせいで、逆に適応にストレスがかかりすぎると、リフレッシュどころか、生まれ変わってしまうかもしれないので、なにかに集中しているときには逆効果になる。

 そういうわけで、先日国内でそれなりに遠い場所ということで北海道の利尻島に行ってきた。

 羽田から稚内まで飛行機で二時間。稚内からフェリーで二時間。

 稚内からは樺太が見えるし、フェリーで移動することがよかった。

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稚内市宗谷岬 日本の……外国?でもこんな外国あるかなあ?)

 

 これで、本土からさらに「離れてしまった」ことで、もう「本土で何がおきても知らねえよ」という言葉は悪いが、ふっきれた気分になることができた。

 この旅ではなにもせず、ただ気分転換をするために来たので、一日目の夕方に来て、三日目の朝イチで島から出る弾丸ツアーの予定だった。

 利尻島は観るべき観光資源はそれほどあるわけではないのだ。

 むしろ、観光資源などないほうが何もせずに過ごせるので、もってこいなのだが、この弾丸ツアーは結局とん挫することになる。

 なんと利子島に台風が直撃したのだ。

 というか、私の旅行に合わせて日本を台風が直撃した。

 よくあることだ。

 そういうわけで、利尻島到着の翌日は完全なる暴風域に入り、二日目の午前中はどこにもでられず、高い可能性で、明日の飛行機もフェリーも欠航になりかねない様子だった。

 こうなれば、もうどうしようもない。

 私は利尻島で唯一ゆっくりしようと思っていた日の午前中3時間をホテルの室内でお昼寝をした。

 疲れていたせいで、ぐっすり眠ることができて、最高だった。

 お昼にホテルが配給してくれたおにぎりを食べると、元気になり、ますます強まる暴風をものともせず、ホテルの自室で読書ざんまいにふけり、もう最高としかいいようのないバケーションをすごした。

 そして、翌日はすっかり体調もととのい、強風の残る島を観光し、午後はお昼ねと読書をして、この世の春を謳歌した。

 まさに、最高に何もせずに過ごすことがきでた。

 そして、滞在中はホテルのおもてなしに肩までどっぷりとつかり、一日遅れで仕事に復帰したときには、心身ともに生き返った気分になっていた。

 この旅行は、意図せず長期滞在になってしまったが、よく考えなくても利尻島くんだりまできて、一日で帰宅するのはもったいないにもほどがあった。

 距離が遠ければ、心と体がそれにおいつくのに、一日はかかると見たほうがいい。

 大げさに言えば、一日で国境近くまで移動したのであれば、一日でその物理的距離を魂が追いかけてくるのを待ったほうがいいのだ。なにもせずに。

 実際、私はあの台風のおかげで、利尻島第一日目の午前中に昼寝をすることで、私が寝ている間に栃木から利尻島まで魂が追いかけてきて、やっと心身がドッキングしたような気がするのだ。

 それから、本当のリフレッシュが始まった、気がする。

 だから、旅行は弾丸は旅行の効果を半減させる。

 そういうわけで、旅先ではまじでなにもしない一日というのをつくることにしたのだ。

 もともと予定をいれない休日が大好きなのだ。

 そんなわけで、私はまた旅に行こうと思っている。

 旅をするのは家と仕事が好きだからで、家と仕事を好きでいるだめに旅をするようなものだと思う。

 変なたとえだけれど、飽きっぽくて忍耐がなくいつでも新しさを感じていたいから、夫がいるのに、いるからこそ、外の恋人と火遊び(表現が古臭いうえに親父くさい)するようなものだ。(ってなにがものだよ、、、笑)

 

 とはいえ、旅もうわべだけの恋人も楽しい過ぎ去っていくはかない光のようで、その光が、不思議なことに平凡で地味に積み上げてきた日常をより輝かせるものだと思う。