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ぐだぐだ日記としか、、、

9月26日(火)私の骨は海に撒いてほしいの ~100年前の貞子の影響~

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(散骨するなら、太平洋でなく、近所の中禅寺湖がいいなと思います笑 犯罪?)

 

「私の骨は海にまいてほしいな」

 朝食の席で母が言った。

「うん、やっぱりそれがいいな」

 母は箸を置くと、窓の外の畑を見た。

 庭木に差し込む朝日はまだまだ強いが、大気には秋の気配が立ち込め、金木犀独特の強い香りが立ちこめている。

 私はまだ半分以上も残った目玉焼きと豆腐とわかめの味噌汁を見て、一気に食欲が失せた

 そのとき、母の膝の上に一冊の文庫本があることに気がついた。

 沢村貞子の「私の台所」だった。

 それは私が母に頼まれてアマゾンで大人買いした山村貞子氏の著作のうちの一冊で、ここのところ母は貞子の著作をむさぼるように読んでいる。

「どうせ影響されたんだろう」

と、思い、私は無言のままぬるい味噌汁に手を伸ばした。

 

【貞子は貞子でも】

 

 

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(今回の話題は山村貞子ではなく……)

 

 

 

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沢村貞子さんです)

 

 

 沢村貞子。(以下呼び捨てします)

 昭和の女優で、1996年に87歳で死去。

 年代で言えば、今年63歳になる母の祖母、私にとっては曾祖母にあたる世代だ。

 沢村貞子は半世紀軽く超える昭和という時代に、数えきれないほどの映画やドラマに出演した。

 名わき役として活躍したらしいのだが、しかし、私には貞子の出演作どれひとつとっても観たことがなく、唯一1949年の「女殺し油の地獄」は観ていたのかもかもしれない。

 「かもしれない」というのは、私の記憶が定かではなく、大学の演劇の授業で近松心中ものの白黒の映画を見たことがあり、これがそうだったかもしれないなあ、と思っているだけなので確証はない。

 貞子はエッセイストでもあり、彼女は夫のために三食かかさずに作った食事について細かくレシピに落とし、それについてこれまた数々の料理エッセイを出版している。

 貞子は1908年生まれであり、私は個人的にこの世代を「百年前」と読んでいる。

 ぱっと思いつくのが

 

 幸田文(1904年生まれ 幸田露伴の娘でエッセイスト)

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幸田文露伴に家事を徹底的に仕込まれた人で、それについてエッセイを山ほど書いてます)

 

 山本周五郎1903年生まれ作家)

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(周五郎。。実はすっごい好きで、よんでは号泣してます)

 

 宮崎市定(1901年生まれ歴史学者

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(いちじいと、個人的に読んでる。司馬遼太郎の師匠各ですかね。

 全集買うぐらい私は好きですw)

 

 

 

 

 全て文学関係者というのが私の狭い了見なのだが、彼らの思想というか書かれた文書を見ると、さすがに「100年前」に文壇に名を連ねた人々だけあって、つきぬけた思想や確固たる作家性を持った大御所という感じがする。

 私にとって曾祖父母にあたるこの「100年前」は、祖父母世代の生き方や考え方がまさに隔世の感とジェネレーションギャップで逆説的に両親世代よりずっとなごやかに受け入れらやすいのに対して、もう時代が違いすぎて、すでに歴史と化した時空に屹立する火星の大山脈のような存在だ

 もうちょっと具体的に言うと、「100年前」というのは、祖父母世代の人間が「何いってるのかわからん」ときにしぶしぶお勉強のためにひも解く「歴史」のようなもので、はじめからこの100年前の仙人の境地に分け入っていくことは「文学オタク」の私でもまれなことで、偶然に仙人と遭遇し、「ちょっと話きいてみるか」と思ったとしても、普通に生きていて、はじめから仙人の住処に分け入ることはなかなかない。

 100年という時代は、その間に積み重ねられた歴史と集積された雑音によって、多くの場合遮断されてしまっているものだと思う。

 しかし、母は私よりも四半世紀(25年)ほど、長く生きているため、私にとっての100年が75年に縮まっている。

 これは大きい。一世代にあたるからだ。

 

 沢村貞子という昭和の女優の思想や生き方は、母にとっては祖母のように身近で、肌感覚が感じられるぎりぎりの世代だろう。

 さらにミクロな話として、貞子の思想が今の母にぴんと来てしまったということなのだろう。

 で、私がそういう世代と思想における考察をぐだぐだしていると、母は膝の上にある文庫を取り上げていった。

 私は内心、やっぱりなと思った。

沢村貞子さんはご主人との間に、子どもがなくてね」

 母がおもむろに言った。

 それはまるで親戚の話をするような口調だったが、私は「子どもがなくてね」というフレーズにつばを飲み込んだ。

 なるほど。

 

 つまり、

 子どもがない→

 家を継ぐ人がいない→

 墓を守る人もいない→

 墓はいらない→

 散骨する

 

 そういうことか、私は目玉焼きを頬張りながら思考した。

沢村貞子は海にご主人の骨と一緒に散骨したらしいのよね」

「で、自分も散骨したいと」

 母が私を見た。

だって、ななちゃんがこのままずっとひとりだったら、お墓なんかかえって邪魔じゃないの

 私は返事ができなかった。

 

【お墓と生きている人間の関係】

 我が家のお墓は自宅から300メートルほど先の曹洞宗のお寺にある。

それこそ我が家は曽祖父母の時代からの墓がそこにあったが、実のところ祖母が父という連れ子を持ってこの家にやってきたのが半世紀ほど前で、つまるところ、その墓に眠る人々は祖母以降の私を含める世代にはなんの血縁関係もない人々なのだ。

 そういう血の断絶のあることを私は中学生になってはじめて知ったのだが、とはいえ私の実家はここ以外にないわけで、祖母が毎朝、自宅の仏壇に手を合わせ、水とお茶を変えて、月命日といえば、足を引きずりながら墓の草刈りをする姿を見て、そこがいつか(このまま嫁にいかなければ)自分が眠る場所だとなんとなく思っていた。

 その感覚は高校卒業後に大学進学のために上京し、そのまま就職、結婚をした二つ下の妹よりも、ずっと実感として私の中にあった。

 家族には不思議なもので、その家族の中に必要以上に一族というものに対してアイデンティティやよりどころや親近感を感じ、それを大事にしたいと思う者がいる。

 翻って血縁関係自体を飛び越えて外に出ていきたいという者もいるわけだが、こういう自分がそだった一族へのコミットは、長女長男、次男次女という生まれの順は関係ないが、一般的には長女長男がその家系にコミットして継続する役割を担うことが多い。

 

 かくいう私にもその「ケ」があって、なんとなく私がこの家をなんとかしなくてはならない気がしてはいた。

 両親の墓のことなど様々な理由から考えたくもなかったが、老境に至る人間と暮らすことは、必然的に老境に近い考えに触れることを意味する。

 私が実家を出ない理由の一つに、私の夢見がちな性質を現実、地方の閉鎖的な価値観に置くことでバランスをとるということがあって、両親と同居することは、否が応でも現実をつきつけられることであり、それは不愉快なことであっても、いずれひきうけなくてはならないと私が思っているからで、それを今母につきつけられたのだった。

 

 母が散骨したがったいる。

 私は、返事ができなかった。

 それは、私個人は、お墓を維持していきたいと思っていたからだ。

 それは先祖のためではなく、生き残る私自身のためだった。

 なんだかんだ、自分がここにいるルーツはときに、人間が生きる上でとても大事なものであり、自分を支えてくれるものだと思う。

 自分の前の世代があり、先祖がいたからこそ自分がいるという感覚は、実は墓という物体がなければ、簡単に失われてしまうものなんじゃないかと私は思うのだ。

 私はつらくなったとき(たいがい、人生はやりきれないと思うことも多いのだけど)先祖のこととか、数えきれないほど生まれて死んでいった大事な猫たちのことを思い出して、もうちょっとがんばろう、と思う。

 それは、墓とは関係ないことのようだが、私は墓があるという生活を35年も続けてしまい、散骨、しかもそれが海(栃木は海なし県だ)という得たいの知れない異世界に親の骨を巻くなんて、ありえないと思ってしまったのだ。

 

 

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(こちらが貞子が散骨した相模湾です。私には異世界です。。遠いし、海ってものが……湖ならわかる。。中禅寺湖とか(笑))

 

 

 

 でも、このままいけば、現実的に考えても墓など持ったら維持できなくなることは目に見えているし、無縁仏のようになってしまえば、逆に色々哀しい気もする。

 自分が死んだあと、あらゆる物質は誰が維持するのか。

 それは墓にかぎらず、家屋や庭も同様で、所有物は死後の世界には持っていけない。

 先のことを考えると色々嫌になるのは、墓を維持するため、家屋を維持するため、庭を維持するために結婚しなければならない気がしてくるということで、それはかつては意味をもち、今も意味を持つものだけれど、私は目的としての結婚はやっぱり考えられない。

 だから、私もそのときはあいまいに答えた。

「お墓のことはもうちょっと考えようよ。もしかして私が結婚するかもしれないし」

 母は文庫本を置くと言った

「そうね、ななちゃん結婚するかもしれないしね」

「……」

 

 そういうわけで、親と暮らすということは日々こうした圧力をかけられるということを意味する。

 しかし、この圧力は人生の現実をつきつけらえるという程度のことであり、実のところ、あたりまえのことだ。

 私は心のどこから、親の意見の一部を大事なものとしてめんどうくさいけれど、抱えていきたいと思っている。

 しかし、抱えきれなくなるとこういうことを考える。

 200年後のことだ。

 200年後、きっと誰も私のことなんか覚えていない。

 ためしに、200年前のことを考える。

 200年前、1800頃。

 時代は江戸期、文化文政。幕末直前の、最後の華々しい時代。

 葛飾北斎が大活躍した時代だ。

 そう、北斎は伝説だ。

 彼は200年後もみなに覚えられている。

 そして、

 北斎の娘、お栄。

 彼女は結婚したけれど、出戻って北斎の絵の才能を継いで、北斎の死を看取るまで父親について絵を描いていた。

 北斎の死後、70歳を超えていたお栄は姿を消す。

 どこでどのように死んだのかはわからない。

 でも、お栄の存在は絵と北斎にまつわる伝説の中に残っている。

 でも、その墓は?

 それは誰にもわからない。

 

 私が思うに、墓は死者のためではなく生きている人間のためのものである気がする。

 自分がぐらつきそうになるとき、墓に行くのはそのためで、墓石というものは死者に残された人間が死者とつながるためのツールとして、あるのだと思う。

 であれば、そのツールはなにも墓石でなくても、いいのかもしれない。

 心の中にいる、と思えば、それは心の中にいるのだ。

 しかし、私はたとえそうだとしても、お墓がほしいのだ。

 母のお墓がほしい。

 心の中に居座ってもらうには母は口うるさいから、お墓があるところで静かに見守ってほしいのだ。

 それになにより、私はまだ石に話かける古い人間の最後の世代だと思うから。

 

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北斎の娘、お栄作と言われています。イラストレーションのようですねw)