NANA★LAND

ぐだぐだ日記としか、、、

9月24日(日)ひるね姫 ~ごめん、こっちが昼寝しそうになったわ~

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 神山監督なにしてるかなあ、と思って観てみました。

 私、監督のこと大好きなんですけど、監督のオリジナル作品についていけず、観ると胃が痛くなっちゃうので、実は大好きなのに避けていました。すみません。

 で、色々言われているひるねを観てみました。

 3回観ました。

 だって、監督のこと大好きだからさ。

 監督の考えていること理解したいじゃん(彼女かよ)

 

 感想はというと、色々考えた結果こちら→

 監督、制作時間、短すぎたんでしょうか?

 

【感 想】

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 ……はい。

 もう、これしか思いつかないです。

 サイボーグ009を観た時にも思ったんですけど、神山監督の映画って絵的にはすばらしいと思うのです。

 今回も瀬戸内海に面する小さな町の美術やら、主人公ココネの表情とか、走りっぷりとか、本当に生き生きしている。

 でも、誰かのレビューであったとおり、開始20分で寝るっていうのは、正直わかる。

 この映画初っ端のココネの昼寝サイド、つまりファンタジーサイドがなんていうかつらい。

 プロダクションIGアニメのお家芸なのかもしれないけれど、そこだけ「ハイテク・近未来」が今回は失敗しているんじゃないかと思ってしまった。

 パトレイバーシリーズ、攻殻シリーズはそれぞれ、レイバーと電脳&義体テクを現代日本もしくはオリエンタルなアジアの町に入れてみたらという世界観があって、直近でいうとIG制作のサイコパスなんかもそう。

 コパスの舞台はシビュラという刑法と適正診断システムをごっちゃにしたような生活支援包括システムが支配する百年後の未来ではあるけれども、イメージ的には現代と陸続きで、それこそスターウォーズやらヘイローシリーズのような数百年後の遠未来というわけではない。

 IGアニメの限らず、たぶん、今、日本でSFをやるとしたら、きっと現代社会との陸続き感がないと、広い視聴者を獲得できないという問題があるのかもしれない。

 なんと言っても、日本でハードSFが受け入れられないのは、90年代から始まるSF氷河期があって、たぶん国民レベルでハードSFを受け入れる消費基盤が成立してこなかったことがある気がするし、そうした中でちょっと先のテクノロジー、つまりSF的なことをやろうとするとIGのやり方が一番いいのだということはわかる。

 でも、そうした日本的状況を踏まえても、「ひるね」の冒頭のファンタジー世界はとっちらかりすぎとしか言えない。

 まず、中世王政が政体であり、王侯貴族が支配する世界観と東京のような街並みが併存し、かつ社会主義労働者のような人民が自動車工場に三交代で通い詰めている。

 さらに、その国の王女は魔法使いで、その魔法を発動するにはIパッドにメッセージを入れて、送信するのだ。

 ドレス姿のキュートな冠を頂いた王女が

「送信!」

 と言って、ボタンをポチする映像を観る頃には、いい大人である自分はなぜこれを観に来たのだろう、と遠い目をしてしまうのではないだろうか。

 そういうわけで、設定がごちゃごちゃで、つらいのである。

 そう思っていたところ、主人公ココネの「ひるね」ならぬ朝寝坊が終わり、現実世界に戻る。

 ここからは、すごくいい。

 よすぎて、冒頭のつらさを三回は挽回できる。

 

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 ココネの乱雑だけれど、適度に片付いた部屋。クーラーでなく扇風機のある部屋。畳に布団を敷いている部屋。

 白シャツにチェックのどこにであるとくにかわいくもなく普通の夏用制服。

 狭い階段をおりて、一階におりてきたときにはココネは制服にエプロンをつけている。

 台所のテーブルにはかごにのった瑞々しい野菜。ビニールに入った値札のない野菜。これをみただけで、彼女には母親がおらず、朝ごはんを自分でつくること、そして彼女の家が地方にあることがわかる。

 取り立て野菜がごろんと転がる風景は私の住む宇都宮ではよくあることで、さらに近所から野菜をもらうことは日常茶飯事だ。

 このあたり映画への親近感マックスになる。

 ココネがエプロンをはずし、手際よく朝食をちゃぶ台にならべる。

 父親のモモタロウがタオルを頭にまいて、ぶっちょう面で先に朝食を食べている。もちろん、朝食はココネが用意したものだ。

 で、ココネが一方的にしゃべって兄のような年齢にしか見えない若い父親のモモタロウは適当にうなずきながら、朝食をもくもくと口に運ぶ。

 この家は二人暮らしであるとわかる。

 ココネは朝食をかっこみ、仏間に入ってカーテンをあける。

 遺影には祖父母と思われる老夫婦の他に若くて美しい女性の写真がある。

 ココネと同じ赤い髪の女性だ。ココネは仏前に手を合わせる。

 ココネはダッシュで玄関を出るが、出しなにモモタロウからラインらしきメールが入る(たぶん、ライン)ココネが携帯をIフォン(たぶんIフォン)を取り出すと、短いメッセージが入っている。

「おまえ東京の大学に行きたい?」

 ココネは返事をするが、モモタロウはそれには答えず、

「今日は遅くなるから墓参りに先に行く」

 ココネはラインがばからしくなり、父親がラインを打っている作業場まで行く。

「お父さん、今日はちゃんと修理代もらうんよ」

「おう」

 と、モモタロウは返事をする。

 先ほどの野菜は父親の【仕事代】だと判明し、父モモタロウのぶっきらぼうだが親切な人柄がわかる。

 ココネが家を出て駆け出すと、彼女の住む街並みが見えてくる。

 瀬戸大橋が見えて、海に面する坂道の多い町だとわかる。

狭い路地、真夏の日差しの強い道路。お年寄りがゆっくりと歩く狭い道。

 もう、この風景だけで、この映画が好きになる。

 私は尾道の風景が大好きで、というか瀬戸内の面する坂道の町がなぜか大好きで、このココネの登校風景だけで、さっきの眠ってしまったほうがむしろ楽になるというつらい冒頭ファンタジーを忘れることができた。

 

 

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(監督の珍しい破顔ショット。いっつも難しい顔してるからなあ、この人、、でもそんなところもラブw)

 

【しかし、途中がやはりつらい、ねむい】

 で、最後までこの現実パートで話が終わればよかったのだが、そうではなくて途中もまた、つらくなる。

 なぜつらくなるかというと、またしてもファンタジーパートが入ってくるからだ。

 このファンタジーパートに冒頭ではちゃめちゃなことをされたおかげで、もう私としてはこのパートが信じられなくなっている。

 なんというか、王政に社会主義に魔法にマシンって、いったい、どうよ?

もはや何が何だかわからない。

 こうしたココネの「ひるね」パートつまりファンジー世界が現実世界と交互に立ち現われ、やがて一本になるのだが、終わってみれば、すべてが「ああ、そうだったのか」となり、それはそれでまとまってはいる。

 それに、おかしな話だが、途中は観ているこちらが正直「昼寝させくれ」という状況なのだが、クライマックスなんかは、わりと号泣してしまうから、くやしいというか自分のパブロフの犬並の条件反射に逆に号泣してしまう。

 この話もまた親子の和解がテーマになっているのだ。

 で、親子の和解にとにかく弱い私は、

「なんか、感動したし、街並みきれいだったし、いいんじゃない。いい映画なんじゃないかなあ!!!」と涙がぬぐいながら、大声で叫んでしまうわけです。

 そして、最後に流れる高畑充希の「デイドリームビリーバー」

 めっちゃすてきやん。

 歌唱力最高やん。

「最高だよ!うん!いいと思うんだ!私は」

 みたいなことになりました。

 以上!

 

 

【でも、もう一回見たいかな、と言われると、昼寝したくなるというか】

 しかし、そこはそこです。

 私は神山監督ラブなので、二度、三度、「私の勘違いじゃないかな? 昼寝したくなったのはさ」と、脳内をだましだまし、観てみました。

 で、まとまった感想が、

 「制作時間が足りなかったんじゃないかなあ、そうとしか考えれん」

 というものです。

 

 

 あまりにできすぎたテクノロジーは魔法と同じである。

 というような感じのフレーズをどこかで聞いたことがあるのですが、これを地で行ってしまったのがたぶん、この【ひるね姫】なんじゃないでしょうか。

 この物語では、自動運転の自動車(二足歩行のロボにも変身できます)やタブレット端末などがファンタジーサイドでは魔法の道具として使われるのですが、現実世界でもタブレット端末に願い事(新幹線にのりたい、お弁当が食べたい)を送信すると、それが叶ってしまうシーンがあります。

 これがファンタジー世界の魔法と同じなのですが、種明かしをすると何のことはない。ココネの送信していたSNSは供覧されており、彼女をサポートする人々によって、新幹線チケットなり、お弁当の手配が知らないところでされていたということです。

 ただし、それのメカニズムがわからなければ、魔法に見える。

 でも、それは本当に魔法として説得力があるものでしょうか。

 発展しすぎたテクノロジーは魔法と同じだ。

 それは、わかるんですけどね。

 でも、もうちょっと練れたんじゃないのかな、と思います。

 

 そういう意味でこの映画の全体的なガジェットというかアイディアはすごく弱い。

 そして、いやらしいけれど、なんだか失敗しないようにセーフティネットを張りまくっているような仕上がりという印象も受けるからなおつらい。

 だって親子の和解をされたら、途中どうでも、私泣きますもん。

 これって王道ですよね。

 で、なんだか泣かされたような気がしてしまうのも、ファンタジーパートの主要な戦闘で魔法がばんばん出てきてしまうこと。

 なんでも魔法で解決って、それおとぎ話でしょ、となる。

 このあたりのも幼年期のお子様の観るアニメに見えてしまうので、いったい対象年齢はどれくらいなの? と思ってしまうわけです。

 監督、攻殻ロッキード事件とかグリコ事件とかやってリアル風味な話、嫌になっちゃのかな、とか勘ぐってみたり。

 

 そんなわけで、この映画はあまりにも疑問符が多く、神山監督の愛にかけて3回は観ましたが、本音の部分で30回くらい昨日から聞きまくっているのはココネもとい高畑充希の【デイドリームビリーバー】です。

 文句なく、いい曲で、心がほっこりします。

 途中色々あって、心底昼寝しそうになりましたけど、街の風景は最高。

 父子家庭の仲のよさとかは、最高でした。

 だから、神山監督、どうか次回作こそ制作時間をおおめにとって丁寧に深堀してください。

 でも、私はいつだって永遠に監督ラブです。(のわりに容赦ない文面だったな)