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ぐだぐだ日記としか、、、

9月23日(土)利尻島旅行 ~宗谷岬で出会った天使 1/2~

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宗谷丘陵の白い道

 

  天使みたいな子だなあ、と思う時、それは乳幼児おむつのCMに出てくる子どものことではない。

 天使とは、なんというか、見返りを求めず他者に施しができるような、それでいて存在の不思議な子どもというか。

 具体例がないと、全然話が見えてこないと思うので、思いっきり結論から話すと、つまり、旅先でそんな子に会ったのだ。

 

利尻島への旅】

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宗谷丘陵

 先日、思い立って北海道に行ってきた。

 目的は、人生をリセットするため。

 場所はどこでもよかった。

 日常から離れられて、自分自身をすっかり忘れられ、何もしなくていい場所。

 つまり、日本でありながらできるだけ日本ではない場所。

 国内であれば、短い旅程ですむし、なにより日本語が通じればストレスがない。

 そういうわけで、北海道の利尻島になった。

 利尻島

 北海道の最北端。

 交通手段は、フェリーか飛行機。

 樺太半島が見える稚内市からはフェリーで二時間弱。

 そこで、三日をすごす。

 ぎりぎり北海道の夏が残る9月。

 そこでゆっくりと3日間をすごせば、帰国(帰宅)して、人生がリセットできるだろう。

 そういうわけで、私は旅先を利尻島に定めたが、行く直前になって台風が日本列島を直撃することが判明した。 

 9月17日当日、飛行機は飛んだが、翌日の18日は北上する台風は北海道を見事にロックオン。

 利尻のほぼ真上を通過し、暴風雨になる予定だった。

 ドンピシャにもほどがあり、祖母はかつて言った利尻島を思い出して私に言った。

「金をかけて台風追いかけるとは贅沢だねえ」

 祖母は皮肉の才能がある。

 

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飛行機からの眺め 稚内

 

 

【北海道へ】

 私はあえて反抗せず、祖母の言うとおりお金をかけて台風をおいかけることにした。それでもいいと思っていた。

 現地でとくにすることはないし、失礼な話に聞こえるかもしれないが、そもそも【何かしよう】という人間は、利尻島を選ばない。

 事実、利尻島には昆布やウニという極上のグルメは存在するが、それは利尻島にかぎったことではなく、北海道全土でそれなりのレベルのものは口にすることができる。

 観光資源といえば、利尻富士という1700メートルの日本百名山があり、登山者がくることがあっても、利尻は踏破の初っ端になるほどライトな場所ではない。

 つまり、一般的な旅行者からすれば、利尻島が旅先の上位にランクすることはまれだ。

 しかし、何もないからこそ行く人間もいる。

 私のような人間だ。

 何かすることに疲れ、何かあれば、それを【観光】しなくてはならない。

 だったら、何もない場所こそ、パラダイスになる。

 そういうわけで、利尻島に矛先を決定し、荷物を先に送り、軽装で稚内空港に降り立ったとき、空はまだ晴れ渡っていた。

 

 ANA571便の機上から見下ろす北海道の眺めはアメリカに似ていた。だだっ広く、ひたすら平地で、ひたすら地平線まで180度高い山並みがない。

 日本本土の7割が山であることを考えると、この風景は異常だ。

 平地が広すぎる。

 唯一山らしきものが見えた。

 それは、陸地を超えた海のさきにあった。

 美しい裾野の広がった山が一つ。

 利尻富士だった。

 利尻富士は道北では目立つほどの山で、稚内市からはその威容が張れた日にはよく見える。

 

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 利尻島はこの利尻富士という裾野の広い山そのもので、長い裾野の先のわずかな平野に人が身を寄せ合うように住んでいる

 機内から見える利尻富士は、その名の通り富士によく似た美しい山で、しかし裾野から山頂まで見わたせる風景を堪能できたのたは、四日間の滞在期間のうち、初日の到着時の午後と、台風一過ののち、帰り際の1時間だけだった。

 あとからわかったことだが稚内利尻島が晴れ渡っている時というのは、珍しく、私自身は頭では明日台風がこちらに来ることがわかってはいても、眼前にある美しい山と地平線まで見渡せる晴れ渡った空をありがたく思うほどに晴れ空が珍しい地域に住んでいるわけではない。

 そういうわけで、私はこのとき、この美しい晴れ渡った大自然はいつでも自分を待ってくれると思い込んでいたのだ。

 だから、このあと宗谷岬で出会った天使によく似た少年に

「こんなにいい天気って珍しいんですよ」

 と、言われた時もそんなものかと軽く私は受け流してしまったのだった。

 

【白い道のある宗谷岬

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宗谷丘陵の白い道(ホタテでできてます)

 宗谷岬稚内市から車で30分、空港からも20分。

 空港が宗谷岬利尻島に向かうフェリー港のある稚内市の中間地点にあるため、観光客にとって交通の便は悪い。

 空港を利用すると、宗谷岬を観光して、宗谷岬から稚内市に向かうためには宗谷岬を往復しなければならない。私たちの場合は夕方にはフェリーに乗らなくてはならないため、バスでゆっくり観光している時間はない。

 旅行のメンバーは私と母だったので、タクシーで稚内にいくか、宗谷にいくか運転手に相談することにした。

 タクシーの運転手はすでに70歳に近い男性で、私たちが稚内市のフェリーに乗らなくてはならないことを伝えると、すぐに要領を得たようだった。

 

「お客さん、宗谷岬がこんなに晴れていることはないよ。

 明日から台風だから、三日後もたぶん曇っていて見られるかわからないね。

 今からいったほうがいい」

 

 

 ふーん、と私は思った。

 

 台風の直撃は明日であるし、3日目の帰宅の日には台風一過で快晴になるのではないだろうか。

 ならば、今日見なくてもいい気がするのだが。

 私はのんびりとそんなことを思い、むろん言葉には出さずに、北海道の最果てのタクシーであっても、客にこんな根拠のないことを言って自分の車に乗せようとして、せちがらないなあ、と思った。

 私は素直に、

宗谷岬までお願いします」

 と、運転手の言葉に従った。

 

 結局、このあと宗谷岬の景色のすばらしさにタクシーの運転手さんに感謝することになり、さらには彼の言ったとおり、台風一過どころか、台風の時化は2日どころか3日もつづくき、フェリーは欠航し、飛行機は振替になり、新幹線の往復チケットは無効になり、宗谷岬を旅行最終日にゆっくり見学するどころではなくなった。

 ただし、そのときの私は心からタクシーのおっちゃんのアドバイスを受け入れただけではなく、頭で「現地の人にまかせるに如くはなし」というような理解を無理やりしていただけだった。

 

稚内の風景】

 

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晴れ渡った宗谷丘陵

 返す返すも私という人間はひねくれている。

 さらに自分がひねくれていると思ったのは、宗谷岬が近づいてきたときである。

 稚内空港から宗谷岬までの風景はたしかに、北海道的なものであり、日本本島で見るような景色とは違っていた。

 タクシーの走る道は、水平線は黒味がかかった青で、雲一つない。

 高い建物と丘陵がないため、地平線もまたどこまでも見える。視線の先に宗谷岬が突き出ていおり、その丘陵のそこかしこに風力発電機が動かない真っ白な骨のような姿で立っているのが見えた。

 タクシーの左手には、木造の残骸のような小屋が時々みえるほかは、どこか忘れ去れたような昭和のような映画のセットのようなたたずまいに似ていた。

 高い木が強すぎる潮風のために皆無であり、短い笹の下映えがどこまでも続いている。

 こういった風景はまだ夏の余韻を残す青空の下でもどこか殺伐としたものを感じさせ、私は沖縄の離島で感じたノスタルジックを超えた地の果てのような荒涼とした感覚を覚えた。

 それでも一方、こうした風景が言葉を失うような風景ではなく、予想された北海道的なもので、私は心のどこかで、こんなものだろうと外を流れる風景に身をゆだねた。

 想定外の風景は退屈である一方、気持ちを落ち着かせる効果もある。

 私はそう思いつつ、運転手に聞いてみた。

「岬の近くに真っ白な道があると思うのですが」

 運転手は一呼吸おいてから、答えた。

「ああ、あります。ちょっと道が狭いけど、行けないことないです」

 宗谷岬と言えばこの「白い道」が観光パンフレットなどでは有名で、白い道が緑の丘陵を縫って、青い空に消えていく写真は、絶対に行きたいと思わせる風景だった。

 この白い道と緑の大地のコントラストを雑誌で見た時、私はただ美しいとしか思わなかったのだが、のちにこの道の漂白された白さはホタテの貝殻を砕いたものだと知り、何か胃が痛くなるような気がした。

 よく考えなくても白い道が人工的なものであることはあきらかで、白い道が天然に存在する場所というのは沖縄の離島、竹富島でみたきりだ。その竹富島の白い道の成分はコラールリーフロックというサンゴであり、まさに人口の道だ。

 というかそもそも道というインフラはすべて人の手になるものなのだ。

 白い砂浜というものは存在するが、それが南の島であることを条件にするのは、あの白さの元は言葉は悪いがサンゴの死体の山だからだ。サンゴは熱帯の海にしか生息しないものである以上、サンゴの道が北海道に存在するわけがない。

 タクシーの運転手が着いてすぐに、

「これはホタテの貝殻を砕いてできた道です」

 と教えてくれたとき、つい行政職員としての自分を思い出し、さらには道路管理や公園管理業務で道にウッドチップを巻いたり、レミファルトを巻いたり、つまりは「道的なものに際限なくなにかを巻く」という地道で気の遠くなるアクティビティが一瞬であれ胸をよぎり、胃が痛くなってしまったのだった。

 

【宗谷丘陵での解放感】

 

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宗谷丘陵の下の信号機 この道路のすぐ脇に宗谷岬のモニュメントがあります

 

 そういうわけで、意気揚々とその丘陵に足を踏み入れたとき、目の前の風景に圧倒された。

 宗谷岬の白い道というのは、宗谷丘陵に位置する。

 この宗谷丘陵というのは周氷河地形と言って、平たく言うと緩やかに丘が続く地形のことなのだが、これは寒冷地気に限定されたもので、地中の水分が氷塊したり凍結したりを繰りかえすうちに形成される日本では宗谷岬にしかないものだ。

 パンフレットでこの文字を見たとき「しゅうひょうが」とは読めず、変わりに白い道のことだけが印象に残った。

 はじめて白い道を目にしたときは、なんというか心に一風の心地よい風が吹き抜けていったような気分だった。

 実際、かなり久しぶりな解放感だった。

 この解放感は私には、文章を書いているときにはよく起こることで、だからこそ、文章書きがすきなのかもしれない。

 私はたぶん、自由という感覚を人生で一番大事にしていて、それにまつわる孤独と引き換えにしても、自由がいいとどこかで思っている。

 なぜ執筆中に解放感を感じるのかといえば、それは書くという行為が「今、ここ」ではないどこかにいるような没入感を誘発するものであったり、自分が長い開いた縛られていた発想から自由になる感覚を作り出すことに起因していると思う。

 書くというアクションにこの言葉では言い表せない感覚があるからこそ、私は常に書いていたいと思うのだが、逆に日常生活でこの解放感を味わることはほとんどないのだ。

 解放感。

 言い換えると全能感だろうか。

 何ものにも束縛されず、空を飛んでいけるような感覚。

 旅行に行っても、最近はあまり味わうことのなかった感覚。

 最後に旅で自由を感じたのは、京都旅行に一人で行った時だった。

 あのときも、3日間、京都で自由にカフェ巡りをすることだけを目的に旅をしたのだった。

 京都はそれまで毎年のように遊びに行っていたし、歴史的遺産を見るのはもういい。 京都でなにもしない、それを目的にいった第一日目。京都駅を降りて、レンタサイクルを借りて漕ぎ出した瞬間、あの感覚を味わった。 

 あのときは、最終日に京都で歴史上初の京都市内特別大雨洪水警報がよりのよって発令され、嵐山は洪水に見舞われて、新幹線は止まり、最終日は帰宅できず、命からがら京都の親戚の家に泊まらせてもらった。

 あのときは気がつかなかったが、これを書いていて思い出した。

 あの京都滞在の嵐の前も、私は奇妙なほどの解放感を味わっていたのだった。

 この解放感が台風からくるのか、それとも何もしない旅行からくるのか、おそらく両方かもしれない。

 そんなわけで、私はこの旅行で久しぶりのすばらしい感覚をオフラインで味わったことになる。

 

 つづく