NANA★LAND

ぐだぐだ日記としか、、、

9月23日(土)日記をはじめます~呪いが解けたよ!~

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【はじめに】

 本家のブログが映画レビューサイトと化し、それ以外のことが書きづらくなってしまったので、日記的なことはこちらで書くことにしました。

 映画レビューなんてものを始めたのもここ最近で、読んで下さる方がいる以上、「読みやすさを心がけよう」とか、「話題の映画をレビューしよう」とか、サービス精神的なものが噴き出してきました。結果的にそういう他者目線のような制約は、ブログを充実した(読者にとって)ものに成長させていくためには、有益なのですが、自己中心的な欲望からは、離れる部分もあるのです。

 面倒なことに私個人としては、読者目線の制約は必要であると理屈ではわかるのですが、心は【こうしたい】という欲望が募っていきます。なので、そういう自分勝手な妄想はこちらでつづっていこうかなと思い、日記はこちらで書くことにしました。

 

【読者目線サービス提供者への尊敬】

 なんというか、人気のあるブログや動画というものを見ていると、本当に生まれながらに他者への配慮とサービスを心掛けている方というのはいらっしゃるもので本当にすごいことだな、と思います。

 いざ、自分がそういう利他精神に近づこうとすると、やっぱり息苦しくなってしまうものがあって、それはまだお金をもらってないからなのかな、とも思ってしまいますが、対価がなければサービス精神を発揮しないのは本末転倒な気もします。

 そういう意味で、やがて人気が出てそれが稼業になる方というのは、いずれにせよ時代が彼、彼女のすばらしいエンタメ性・サービス精神に追いついたということなのでしょう。

 もちろん、本人たちの並々ならぬ努力はあったと思うのですが、それも半分しか当たってないような気がします。結局結論を急ぐようですが、本人が【やりたいんだ、他人なんか知らないのさ、っていうか、ええいっ、止めるな!】という心にパラサイトする暴れ馬がいるような人間は、その暴れ馬とどこまでも走っていくしかないわけで、その暴走っぷりを多少他人にも見てもらえれば、まあ十分、というポジションからはじまってるのかもしれない、と思うわけです。

 様々なクリエイティブ稼業を生業にしている方たちの根本はそこにあるような気がします。

 ネットという自由でフラットな表現メディアが出現してからは、そうした暴れ馬の飼い主たちにとっては、生存しやすい環境が整ったわけで、その暴れ馬オンラインをプロ業として確立することも運と実力があれば可能になりました。

 

【自己中心的な暴れ馬を呪う私】

 ちょっと前までは、私はこの暴れ馬を一種の呪いのようなものだと感じていて、なぜ自分はこんなに【あれしたい、これしたい、退屈なことは嫌だ】なんてことばかり言っているのだろう、と思っていましたが、ここのところ、心底【いや、暴れ馬でいいじゃんか】と腹落ちするような出来事が相次ぎました。

 一言で言ってしまえば、【自分の欲望は純化すれば、他者への貢献になる】ということです。言われてみれば、経営哲学やらビジネス啓蒙の本にはこの手のことがばんばん書かれているわけですが、いざ自分自身の人生でそれが可能になるのかというと、長い歳月をかけた生体実験というかシミュレーションが必要になるわけで、いくら他者の物語としてそれがとうの昔から実在していようと、なかなか腹落ちするわけではないのです。

 35年という青春期を通して、私は自分の暴れ馬とここまで暴走といわず、ゆるいランニングをしてきて、やっぱり、こいつしか頼るものはないな、と思いました。

 世の中にはたぶん、二つのタイプの人間がいて、夢中になるものがある人と、夢中になれるものがない人、極端に言いかえれば前者が夢中になれないと干乾びてしまい、同時に夢中になれるものがごく少ない範囲に限られている人、後者は色々なものに対応できるけれど、どれひとつとってもそれほど夢中にはならない人がいると思います。

 私のこの二つのカテゴライズは極端にすぎますが、見逃してもらうとして、この前者と後者の比率は私のイメージでは1対10ぐらいような気がします。下手をするともっと隔たっているかも。

 まあ、それは置いておくとして、その数少ない暴れ馬の飼い主のうち、環境に恵まれ、自分自身の暴れ馬自体も【止まらない】時、どうしたって前者の傾向が強くなっていくのではないかと思います。

 

 私の場合は、何かを決断するとき、【それが楽しいか楽しくないか】で判断するほうで、いわゆる直観で物事を決めてしまいます。

 その直観を、別名【暴れ馬】というわけです。

 このお馬さんは、【楽しいこと大好き】タイプで、この【好奇心を追いかける】ことに対して、飼い主の私としては、これまでずっと悩ませられ、苦労し、心の中で【もっと普通に、アクのない人間になりたい】と思ってきた部分が少なくないのです。

 こうした私は、他人からは表向き【自信満々、人の話はきかない】と思われていますが、それは他者の【当然の安全牌の人生訓】に従っていたら、馬ともども精神的に追い詰められ発狂してしまうからで、私の本質はいつでも暴れ馬にあるのです。

 だから、表向き暴れ馬と共闘し、馬を援護しているように見えますが、内心では、

 

【てめえっ、この暴れ馬、一回死んで来いよ! 

 いや、二度三度、死んでこい! 

 お前が楽しいこと優先するから、いっつも大変な目にあるうんだよ!】

 

 と馬に対して、罵詈雑言を吐き散らし、

 一方では、祈りの姿勢をとり、

 

【ああ、神よ。

 なぜあなたは私にこのような自分勝手、天上天下唯我独尊のような暴れ馬を押し付けたのですか。

 私がこいつのせいで、どれかで苦労したか、雲の上からいやというほどご覧になったでしょう……しくしく、

 

 っておい、神、てめえ、聞いてんのかっ! おいってばよ!

 てめーのいい加減な采配のせいで、こっちは大変なんだよ!!】

 

 とこちらもまた圧痕雑言。いや、見苦しい。

 

【呪いから解脱? 解放された現在】

 そして、このエンドレスな他者に反抗、内心で葛藤という愚劣というかめんどくさい感じは、20代いからずっと続いてきたことなのです。

 しかし、こと現在に至り、前掲のフレーズ【自己の欲望を突き詰めれば、他者への貢献につながる】というプロジェクトX的というか、自己啓発的が私の中で腹落ちしました。言ってみれば、【暴れ馬よ、私はおまえと生きていく】ということです。

 

 なんですかねえ、もうそれしかないわけですよ。

 結局、つきあいも長いし、【あれしたい、これしたい、つまらないことはやりたくない】という精神、それがここに来て、実は私生活でもようやっと周囲をあきらめさせたというか、使い道がでてきたこともあって、自分自身、暴れ馬を認められるようになってきたのです。

 具体的な話をすると長くなってしまうのですが、つまり【おまえ(暴れ馬的発動中の私)使えるじゃん】と、仕事場やプライベートで肯定的にそのアクションや言動が認められるようになってきました。

 なんですかね、だっさくまとめると、呪いとの和解です。

 よく考えてみると、ただ単に自分自身を好きになるっていう恥ずかしい話でしかない気もするのですが、私の場合、今もそうですが、ずっと自分自身の人生に対して、【自分のことばかり考えているなあ】という気持ちが心の底になって、私が目指したい【他者のことを考える人生】に行きついてないなあ、と思っていたのです。

 そもそも、自分自身に力がないと、他者を守れるわけもないのですが、守るどころか、自分自身の呪いによって自分も苦しんでいたわけで、しかも、年齢も30歳を超えて、【いい大人】の年齢制限にかかってきたにもかかわらず、そういう自家撞着の中でぐるぐる渦巻いていたのが、私の前半生でした。

 ようやっと、ここに来てその呪いの設定が解除されつつあるのも、暴れ馬とこうして歩んできた35年、この馬が、独自の能力を発揮するようになってきたからかもしれないのです。

 

 いわゆる、波に乗るというか。

 波といっても、とくに派手な出来事が起きているわけではないのです。

 ただ、静かに、自分の人生を肯定できる、納得感があるというか。

 私意外の周囲の方々にそれが肯定的に受け止めらえるような出来事が多発してきたのです。

 こういうことからも、やっぱり人は他人に認めてもらえないと、自分を肯定できないのだなあ、と心理学の初歩に納得するわけです。

 そういうわけで、ひねくれでも、なんでもなく私の人生はこれでいい。

 これから、もっとよくするという腹落ちした感覚が今、芽生えつつあります。

 そういう腹落ちはきっと、すぐにできるわけではなく、長い葛藤が必要だったのかもしれません。

 

【改めてブログの趣旨】

 このブログはそういう意味で、【かつて呪われたと思っていた人間】の語るたわごとであるとともに、例の【神め、ふざけんなよ】の罵詈雑言も冷めやらず【でも、神、やっぱり、私はあんたがいたほうが人生楽しくなるのよ。ほら、けんか友達って必要じゃん。だから、ふがいないあんたでも許すわ】という】めめしい片思いの連続的告白になります。

 つまり、この日記は罵詈雑言の形をとった神への告発文です。

 そもそも、なぜ私が呪いをかけられたと思ったのか、呪われたと思った時、【くそ神野郎】と思うほどに神の存在をなぜ信じるのか、一方で【暴れ馬よ、それほどお前が私にからんでくるならば、私はお前をめいそうによって、薙ぎ払ってやる。いや、迷走ではなく、瞑想だ、バカ馬め!】と、救いを今度は神ではなく仏に求めしまった経緯、など、ある意味宗教的な信仰告白の場面もあるかもしれません。

 とにかく、私が誰にも語らなかった独り言、語り様がない狂った神とのけんか模様を、もしかすると一生一人で終わるかもしれない死に向けて、残す記録でもあります。

 そして将来、私のようなめんどくさい呪いをかけられたと思い込んでいる人間を少しでも癒せることがあるならば、やりがいがあるというものです。

 なぜなら、今では暴れ馬は、神の祝福だと私が信じるからです。

 じゃなきゃ、やってらんねーそ、という気持ちをも込めて、これは神への一般質問となるでしょう。

 できるものならば、神からの明確な答弁がほしいところなのです。

 これを読む読者に【自分は呪われている】と思っている方はどうか、【あなたは一人ではない】と伝えたいです。

 ここにも呪いから脱しつつある人間がいます。

 神への罵詈雑言はまだ止めることはできませんが、前よりはずっと軽くなったこの症状をもって、せめて明るいタイトルをつけみました。

 

 私の名前、【ななえ】をとって、ナナ★ランド。

 

 

 ……神よ、なぜあなたは私に最悪なセンスを送りつけたのか。