NANA★LAND

ぐだぐだ日記としか、、、

9月9日(日)親への思い 旅立ちの時

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 これもまた、友だちと話をしていて気がついたことで、親に対して自分がどう思っているかだ。
 私の場合は、基本的に「申しわけなく思っている」と、同時に、つゆほどもそんな態度は親の前でとらないという複雑な心情をたどっている。
 こういうめんどうな言動不一致的な生き方をしているから、「親子の和解」なんていう映画のシーンで必要以上に号泣してしまうのだろう。
 と、冷ややかに自分を分析している。

 友だちにこの話をしたら、えらく驚いていた。
 その友だちは、結婚して子どもがいて、親と同居しているのだが、もう本当に親とは態度も心も反発して、裏表ないらしい。
 私も態度や言動的には常に「親になに言われても聞いちゃいねえ」的な感じなので、この私の内心を知った友だちが、「意外だわ」ということになる。
 これは、たぶん私と友人がどちらも「目的指向」が強く、そこで意気投合している部分があるのだが、多分、そこに至る経緯が違っている。
 友人である、彼は親に反抗して、自立を勝ち取った。
 私の場合は、親に自由に育てられて、自由にな仕上がりになったということだ。
 私は子どもの頃、親に何かを強制されたこともなければ、むしろ親になんでもやらせてもらえる環境にあった。
 ただ、才能が追いついてないだけで、割と好き勝手にやらせてもらってきた。
 その自由奔放な教育の結果、自由な感じの思考回路が形成され、再構築され、公務員なんかやってられるか!という思考になっていくのだが、これが仕事だけでなく、お見合いを蹴ったり、なんというか、そういう感じなってしまったのだ。
 私としては、この世の世知辛い場面に出くわすたびに、うちの両親がいかに私をかわいがって愛情深く育ててくれたか、感涙にむせび泣きそうになるのだが、大人になってからの急に「ちゃんとした仕事について、無難に結婚しろ」」という意見には組みすることができない。
 まじで、ごめん。なのである。

 それとこれとは違うというか。

 もう、徹底的に「NOという日本人なのである」
 でも、心の奥底では、泣いているのである。
 なぜなら、親には感謝しきれないくらい感謝しているから、本当は親が望むような「そつなく結婚し、そつなく公務員としてはたらく」女性になってあげられたら、と思う。

 だが、そんな人生を歩むくらいなら、私は首をくくってまじで、、ぐらいの気持ちなのである。
 だから、わかってはいる。
 こういうことはもうお互いの為にやめたほうがいいのだ。
 
 私は親と一緒にいるかぎり、親のことを気にしてしまうし、本当のところで決断ができない。
 親に遠慮してしまうからだ。
 親に心配をかけたくないと思うからだ。
 そのくせ、心の本当の底では、親の言いなりになる気はこれっぽっちもない。
 
 
 友人は私を「優しい」といったけれど、私は違うとわかっている。
 多分、私は勇気がないのだ。
 今まで、自分の味方をして守ってくれていた親に本当に「ひとりでやれるから」と言うのが怖いのだ。
 でも、たぶん、もうそれができる最後な気がする。
 
 幸せで、幸せすぎる時間は多分、終わりに近づいていて、私は今こそ本当の旅に出るべきなんだと思う。
 その決意として、今日がスタートラインとしよう。

 本当に私が自立できたら、きっと親に反抗せずに内心の思いを言えると思う。
 今はまだ、言えないから。
 そのことは悔しくて情けない。

9月9日(日)幽遊白書から学ぶ悔しさは成長の糧

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 昔のアニメを流し見していて、ここのところ地味に幸せだ笑
 先月、妹が帰省して、たぶん東京五輪が映画「AKIRA」の舞台と一緒なんだよね、とかはなしているうちに、「AKIRA」を観ることになった。
 二歳と四歳の姪っ子は、映画で泣くし(ソリャ泣くわ)、私も妹も「金田」のことを「アキラ」だと思いこむという何回目かの過ちを繰り返し、「テツオ」が狂気にかられる過程をほんとうにかみしめるように思い出していた。

 で、しばらくしてネットフリックスに幽遊白書があがっているのを見かけて、多分、夏にアキラをみたせいで、つながってしまった。
 つまり、テツオイコール佐々木望つながり。

 いま毎日「幽遊白書」をかけながら化粧をしたり、通勤したりしている。
 いや、ほんと楽しい。

 何が楽しいって、やっぱりレトロな感じがしてほっとする。

 みなさん、ご存じだと思いますが、このバトルマンガって本当に最初から最後まで、割とボス戦のクリアの仕方がいつもワンパターン。
 当時は気がつかなかったけれど、ほんと誰でも彼でも、こてんぱんに打ちのめされたり、仲間がピンチになると「怒り」が引き金となって、マックスHPとMPが上昇、急激に強くなって相手をのしちゃう。

 いや、ほんと、「それ反則やん」と思うくらい、気持ちいい。
 
 とはいえ、「怒り」で自分の能力をあげられるなら苦労しないでしょう。

 なんて、思うのだけれど、この前友だちと「コンプレックス」の話をしていて、もしかすると「幽遊白書」でさんざん描かれている、敵にこてんぱんにされたときの「怒り、悔しさ」こそ、人が成長する要素なんじゃないかという話になった。

 そもそも、私が作家になりたいと思うようになったのも、もちろん本が好き、というのもあったけれど、自分にはそれしか「人よりも好き、得意だって思えるものがない」と自覚したのが始まりだった。

 たとえばスポーツにも興味がなかったし、勉強もそれほどできるわけじゃなかったし、楽器も絵も得意じゃなくて。
 今思えば、それは一般的なことで、ほとんどの人間がそうなんだけれど、当時、思春期の頃は、それに死ぬほど打ちのめされた。
 何かで一番になれないなら、順位を競わない世界でオンリーワンになれればいいんじゃないか。
 当時はこれほど明確にこんな恥ずかしい目標を持ったわけではないけれど、なんとなく特別になりたいという強い思いだけはあった。

 そうなった理由は、当時すべてにおいて、周囲には自分を圧倒的に越える友だちがいたからだと思う。
 つまり、十代の私にとって、世界はすでに広かったということだ。

 だから圧倒的な能力差のある思春期の世界で、自分のアイデンティティというか、自信を保つために何か、得意なものを持ちたいというのは、強迫観念そのものだった。

 その思いがかなり強くて、本当にざっくりだけれど、作家という道を志すようになった。
 
 なんのことはない、夢はほかのことができなかったこととセットなのだ。

 幽遊白書の主人公、幽助は、けんかが大好きで、負けるとき、それはストーリー上、自分や仲間の死を意味するので、簡単にギブアップができない。
 だから、負けられないし、負けないまでもその強さを見せつけられると、ものすごい「悔しい」という態度をとる。
 この幽助の姿が、私自身の態度に重なった。
 つまり、なにかでうまくいかないときに、それがどんな時でも物語を書くということだけは投げ出すことをしないという私の行動指針だ。

 誰かに否定されても、いつかは形にしようという執念が心の底に常にあって、どんな努力もしようと決めていた。

 そういうものが誰しも持てるものではないということに気がついたのは、30歳を越えたころで、その頃には人生で重要なことを決めるときの一つの指標になった。
 つまり、どういう道に進めば自分は作家になれるのか。

 そこには、やっぱり思春期の頃の「誰にも負けたくない」という気持ちがある。
 
 幽助が毎度のように強敵にこてんぱんにやられて、パターンのように
いや、まだ納得してねえ、いつかやり返してやる! というシーンで萌える私。
 同時に、私っていつまで少年ジャンプなんだよ、とため息つきたくなる。

 結局、複雑でで、「悔しい」という、ちょっと人前で見せるのがそれこそ悔しい感情こそが、人間の成長には必要だと思うけれど、一方で成長しねえな、と苦笑する要素であったり、する。

  

9月9日(日)好奇心がすべての基礎!?

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 2ヶ月前のこと。
 超がつくほどつまらない夕食をした日があって、なぜ「こんなつまらんかったんだ」と1時間ぐらい考えて答えが出た。
 もちろん、料理がつまる、つまらないではなくて、一緒に夕食をした「相手」がつまらなかったんですよ。
 
 その彼は年齢的には私の4、5歳下。
 婚活パーティで出会った子。
 なんというか、その日は退屈なメンバーだったのと、彼が栃木に来て友だち(出た、このフレーズと思った人はビンゴです)がいないという話を聞いて、なんとなく同情をしたのが、悪夢の始まりだった笑

 お察しのとおり、彼が私を約半年後にどんぞこのつまらない夕食へと誘うヒーローになる。
 でも、その子の名誉のために言うと、
 私がつまらない人間だったから、その子と関わりあいになってしまったのである。
 みなさん、ここ重要。
 笑

 今思い返せば、その子ははじめからネガティブトークだった。
 私はその日、好きな男性のタイプの欄に「年上の包容力のある人」とで記入していたのだが、彼は初対面のそのときから「年上のおじさんなんて、どこがいいですか」と例の疲労したような(これが彼のしゃっべりかたの癖。だいたい、ネガティブな人間ははきはきとしゃべらない)口調で言った。
 私は、それが真実であればあるほどカチンとくるタイプで「おっさんはなあ、おめえみたいな若い奴が稼ぎ出せない所得と包容力があるんだよ!」と、あまり賛成票を獲得できない答弁が喉元まででかかった。

 今、思えば彼は自分の「若さ」をもっと押し出して、「そっか、年上の方が好みなんですね、残念だな。僕は年上の女性って包容力があって好みなんだけどな」というホストトークでいくらでも自分を売り込めたはずだ。(これも書いていて過半数の賛成票を女性から獲得できるか若干不明です)
 しかし、彼は自分の利点よりも年上の否定から始まった。
 どうやら、彼という人間は自分の発言が人に与える影響を計算できないらしい。

 で、その日は私もどうかしていたようで、なぜか彼とそのあとカラオケに行くことになった。
 婚活パーティで初対面にも関わらず。
 ほんと、どういう心理だったのか今持って覚えていないのだが、覚えていることは、「なんかこいつかわいそうだな」と思ったことだけだ。
 すっごい友だちがいなそうな奴で、趣味欄に「カラオケ」と書いてあったので、つきあうか、とそんな感じだった。
 彼は、その日どこかの女の子とカップル成立したにも関わらず、そっちの予定は後回しにして、私とのカラオケを優先した。

 カラオケは1時間ほど。
 特にプライベートの話はせず、まるで格闘技マンガの主人公が「こぶしで相手のすべてがわかるんだぜ」というように、たがいに歌を歌いまくった。
 星野源のタイトルはわからないが、やたらに明るい歌を彼が歌っていて、「なんだいい子じゃん」と軽く思ったのがその夜の印象だった。
 (明るい歌をくったくなく歌う子は嫌いじゃないです)
(逆に中島みゆきとか尾崎とかセレクトされたら・・・)

 ただ、はっきり覚えているのは、カラオケ終了後、夜中近い時間にも関わらず、彼は私を駐車場まで送っていこうとはしなかったことだ。
 婚活をしていると悪い癖になってしまうのだが、どうしても男性の「気がきく度」をビジネス接待レベルに換算してしまう。
 その場合、気がきかない子だな、と思ったのが印象に残った。
 
 そういうわけで、お互い何も感じることなく、その日は終了するのだが、その後も彼から定期的にメールがくる。
 それは「最近どうよ?」
 というもので、なんとも答えにくいもので、しかし彼は絶対に「遊ぼうよ」とは言ってこない。
 私だったら、「遊ぼうよ、この日あいてる?」
 となるのだが、とにかく「どうよ」から進まない。
 私としては、特に彼と会いたいわけではないので、向こうが誘ってきたら、乗るか、という程度でしかないのだが、彼もまた定点観測してくる割には、ほんとうに定点観測からぬけでないのだ。

 そんな、観測。大人にいるの?

 と、思うのだが、言ってやるほど私もひまではない。

 でもまあ、本当に定点観測を月イチでしてくるので、一度私のほうから誘ってみたことがある。
 それが、よく考えれば初めてあってから半年後。
 2ヶ月前のことだ。
 繰り返すが墓穴です。


 結論。
 すげえ、つまらなかったのである。
 まず、日程とお店は私が誘ったので私が設定した。
 ここに駆け引きはいっさいなく、ただ友だちとして違う業界の人間と楽しくはなしをしながら夕食でいいかな、というのがあった。

 しかし、彼の話はことごとく、ネガティブだった。
 彼は民間の電気設備の営業をしているのだが、とにかく行政の悪口が多い。
 行政とは、私の職のことである。
 民間に比べれば、行政は楽。民間は死にそう。

 それが真実かどうかは、横に置くとして、それを行政マンである私にプライベートで会っているときに言ってどうなるのか。
 で、私は仕事の話は、やめた。

 とはいえ、プライベートの話となると、彼に趣味はないのである。
 休日の2日間はジムに通っているが、それについてもとくにはなすことはないようだった。
 私は場を持たせるために、私が持つ話題のなかでもわりとポップな「旅」の話に持って行ったが、これこそ全く興味がないようで、逆に「よくインドなんか行くね。そこになにがあるの」という反応。

 
 つまらないトークの見本市 授業レッスン代。
 2時間2000円

 はあ、安くてよかった。
 
 その日に言ったインドネパールカレーのお店から、二人が別々の駐車場まで歩く道はほんの数十メートル。
 あっという間に別れになる。
 2度目はないな。
 という感じだった。

 帰り道、私は開放感でいっぱいだった。
 つまらない夕食から自由になったのだ。
 ただ、帰宅すると、つまらなかった、最高につまらなかった!という感情が押し寄せてきた。

 いったい、何がつまらなかったのか、考えた末、彼の好奇心の低さにすべてが始めるのではと推測した。

 彼はとにかく趣味も夢中になれるものもとくになく、日々を漠然と生きている(ように見える)
 興味関心が外部にもたぶん、自分にもないため、こちらが提示する話題にも乗ってこない。
 乗るどころか、いったいそれのどこかおもしろいの、という反応。
 
 私自身は、彼に話をしているだけで、自分がおろかになったように感じる。
 途中で、彼にこれ以上関わると自分で自分を傷つけると感じるようになる。
 インドに行く、自分ばかじゃん、という感じだ。

 なんというか、友達にも知り合いにも、仕事仲間にもなれない感じだ。
  
 以下仮説だ。
 好奇心は他者理解への近道?

 彼の場合、他人に興味がなく、物事にも興味がなく、ニュースにも、世界にも興味が薄い。
 そうなると、関心の幅と同時にアクションという経験値もせばまる。
 経験値がないから、自分の発言や態度が他者や周囲に与える影響も感じ、想像することができない。
 結果、友だちはできない。
 彼といると、不快、もしくは不安、退屈になるので、離れたくなる。
 
 の、かもしれない。

 
 彼のようなタイプは、どうだろう。
 人生、おもしろいのだろうか。
 つまらないから、たいして興味もない私に「最近どうよ」というメールを送る羽目になっているのではないだろうか。
 

 好奇心は、努力して持つ場合もあれば、自然に持てる場合もある。
 自然に持てる場合、対象となる人やものが好きな場合だ。
 努力して好きになる場合、それは仕事である場合が多い。
 でも、人はそうして他者や世界に寄り添っていこうとするのではないだろうか。
 そうして、自分も理解してもらうために、相手を理解しようとするのではないだろうか。

 思うに、
 好奇心は自分自身から一歩外にでる手段だ。
 なぜなら他者への好奇心は、一瞬自分から離れたように見えても、それはめぐりめぐって自分が他者と違う部分、他者と同じ部分を理解する手段になるからだ。
 
 半径3メートルどことか、半径ゼロミリの彼の世界が、今どうなっているのか、わからない。
 興味もない。
 なぜなら、2ヶ月前に彼のラインを削除してしまったから。

 願わくば、30代に突入した彼にも変化がありますように。 

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9月9日(日)アクションアクションアクション

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 リラックスに入ったのに、終わってみると全然リラックスできてない時がある。
 だいたい20代そこそこの子がバイトに毛が生えた程度のテクニックで指圧をしてくれたときは、こんな感じになる。
 ああ、もう。
 高いお金払っているのに。
 いいたいことは山々あるけれど、こういうときは慈善事業をしたと思うことにしている。
 人生が私に施した幸運を、定期的に回収して帳尻を合わせているにちがいない。
 そもそも、私の年齢は施されるより、施すほうに回っていいぐらいなのだ。

 そういうわけで、今週のまったく癒されなかったマッサージの話をしようと思う。

 その日は、入ったクイックマッサージは、40分2000円。
 そのお店は、仕事帰りの団地の中にある。
 ジムやヨガ教室の導線上にあって、交通的に便利な上に、スタッフも値段の割にベテランがそろっていて、立地・テクニックとも★5つじゃ!などと評価していたのだが、くるときにはくる。
 ついに、意外なルーキーが私の担当になってしまったのだった。

 彼は、二十代そこそこのひょろんとした、青白いめがねをかけたお兄ちゃんで、丁寧であいそもよく、それどころか指圧のテクニックも筋がよかった。
 おそらく、もみ方から判断して数ヶ月レベルだが、私の二十年来におよぶ指圧歴の経験から判断するに彼はかなり筋がよくうまいほうだ。
 とはいえ、この世界は年期の世界なので、うまいと言っても、潜在的に才能があるだけで、それを開花するためには、それこそあと十年は(以下略)
 というわけで、彼の指圧が始まったのだが、
 例によって背中と首がパンパンの私は、「パソコンですか?」と聞かれて、職場でも家でもずっとパソコンで、、と言ったことから、原稿を書いている話になり、彼は青年特有の「自分のやりたいこと」を語りだした。
 なんでも、彼は行きたかった専門学校を親に「絶対無理だ」と反対され、「どうでもいい高校」に入学したあげく、早々と退学して、その後は土建、ファミレス、引っ越し業、マッサージ業界(いまここ)と、それなりに正社員として雇われながらも、長続きせず、今に至るようだ。
 その年齢で高校をはねった人間にありがちの、ヤクザな世界にも片足をつっこむことになり、命からがら逃げて仕事を辞めたくだりももれなくついてきた。
 とはいえ、彼の口調は収支のほほんとしており、不幸という感じはしない。
 それどころか、「何か形ののこるものをつくりたい」とゆっくりと語りだし、彫刻や、マンガや小説(ラノベ)も書いたりしてみたけれど、どでも夢中になれないというか、挫折ともよべない、表現者希望にありがちな話をしだした。
 好きな作家を聞くと、あるホラー小説作家の氏名をあげた。
 私もその作家の小説は家に3冊あるが、どういうわけか未だにめくったことがないので、積んでいる。 
 ああ、積んでるわ〜、ということを私も彼につられてのほほんと答えた。

 だが、私は彼の話を聞いているうちに、割と目指す方向性がかぶること、彼の二倍近い年齢を生きてきたという自負から、老婆心ながらアドバイスを熱く語ってしまったのだ。
 結果、全くリラックスできなかった。笑

 私はとにかく「はやく失敗して、はやく自分の方向性を決めて、それに集中しろ」と言いつづけた。
 これはもう、中学生だった私自身にいいたいことそのまんまでもある。
 つまり、大学生になるまでに、基礎をつくっておかなければ、三十代で成功できないということだ。
 それを、この子に言ってどれだけ、本気になってくれるかはわからないし、情熱を情熱がない人間に語ることほど寂しくなる瞬間はないのだけれど、なぜかその日は、私は彼にそれを言わなくてはならない気がした。

 というか、今思えば自分自身に言い聞かせていたのかもしれない。
 彼は、私の説教じみたアドバイスをわりと心地よく聞き流していたのか、帰り際も「またお越しください。お気をつけて」とそつなく、しかし礼儀正しく送りだしてくれた。

 「そっち方面」の人間にしては、かなり礼儀正しい子だなあ、と思ったのだが、帰宅後はこっちは自己嫌悪だ。

 よけいなお世話を焼きまくったということと、彼のあげた作家から彼の物書きに対する熱意はほぼ見えたにもかかわらず、マシンガンのように「夢をかなえるためには」的なことを語ってしまった自分。

 めっちゃ恥ずかしいではないか!!!!

 だいたい、語る奴はださいのだ。
 できるやつは語らず、やってる。。
 もう・・・。
 
 ただ、言いたかったことは本当で、早く色々なアクションを起こして、自分が負けて悔しい、これが楽しいというものを見つけることだという持論は変わらない。
 ぼやぼやしているとまじで取り返しがつかないほどの速度で人生は追いかけてくるし、そうなったら、もうほんと・・・。
 そういうわけで、このブログを読んでいる若い読者はいないと思うけれど、もしいたら、まじで時間がもったいないYO。
 作家をめざすなら、こんな味噌汁みたいな文章をよまずに、トルストイとかスタンダールとか読んだほうがいいと思うYO。
 私はどれも読んでないから、こんな感じの文章書きになっているのだからね。

 と、今回も最後まで恥ずかしいのでした。
 おしまい

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9月9日(日)マインドを高く保て

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 政治の世界には、一般質問、 答弁というものがある。
 法律の世界には立論、反対弁論がある。
 と、これは公のはなし。
 しかし、何かをしたいとき、したくないときに、周囲を説得させる論理的技術は個人レベルでも必須だ。

 でも、と思う。
 論理で人は納得はしない。
 説得はされても、腑に落ちなければ、人は納得はしない。
 むしろ、感情で納得していないのに、やりこめられれば、相手のことを憎むようになり、逆効果だ。

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 今回のテーマは、一言でいうと、論よりマインドということだ。
 昔、尊敬する行政マンの上司がこんなことを言っていた。
 「新しいことをしないから、議会に責められる(攻められる)」
 
 当時は、何を言われているのかわからなかった。

 でも、今は自分がその立場に近づき、少し理解できるようになった。

 反対派というのは、現状維持という恐るべき巨大な基盤を縦にネガティブで、重箱の隅をつつく反対尋問をしてくる。
 しかし、本当にある人間がやるべきことを心得ていて、覚悟ができていて、論理を整え、その論理を人の心に響くように情熱という唯一人の心を動かせる熱い「思い」でコーティングしていれば、反対派を覆すことができる、かもしれないと思う。

 もちろん、抵抗勢力というの既得権益の保持者であって、その壁は高いかもしれない。
 けれど、結局人は論理や既得権益にいつまでも縛られてはいないのではないかと思う。

 とはいえ、これは印象であって、私が現実世界で、大勢の既得権益者に向かって、改革を叫ばなくてはならないからこう思ったというわけではない。
 なんというか、マインドだよなあ、と思うのである。
 
 うまく言えないのだが、普段の生活をしていて、大きくて公的なことで言えば、上のような話なのだ。
 つまり、何か新規プロジェクトの障害をはねのけたいのなら、強いマインドを持つことで、それは情熱とも言い換えられる。
 で、個人で言えば、それは、「自分のやるべきこと、やりたいことに精神を集中させる」ということではないかと思うのだ。

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 なぜこんな話題になったかというと、個人レベルでも人生の障害というのは日々、津波のように押し寄せてくるものだからだ。
 それは、ネットの情報から隣の同僚の態度や組織の決定や会議に至るどころか、自分が自ら選ぶ旅行先にも反映され、飲み会の選択にもすべて影響がでる。
 平たくいうと、現状維持やネガティブなことを考えていると、その波長と同じものを持ったヒト・モノ・カネの障害が押し寄せてくるのだ。
 
 8月はそれに翻弄されてしまった。
 同じ話を違う角度からしていることになるが、先月はある出来事で、かなり自分のペースが乱された。
 
 今まで遭遇したことのないタイプの人間との関係でトラブルの深みにはまり、そこからもがき脱出するのに、たくさんの人間とイベントにその毒気をまき散らしてしまった。
 私に耐性がなかったせいで、そのトラブルに遭遇し、私のマインドはネガティブなスパイラルに突入し、私の思考と細胞はある毒素を得た。
 その毒素にやられている間は、とにかく親しい関係で、今までないようなつまらないスレッドを立て、延々とつまらない話をし、自己嫌悪になっていた。
 
 今になって気がつくのは、マインドの問題だ。
 小さな世界の小さな価値観の中で、自分を充実させようとしていたから、小さな世界でもがくはめになった。
 けれど、そんな狭い世界、気にすることはなかったのだ。

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 なんというか、すごくうまい言い方が見つからないのだけれど、変な人間関係に巻き込まれると、その後の人間関係もおかしくなってしまうということだ。
 もっとも、巻き込まれるということが異常事態で、つまりそこに私のマインドの「隙」があったのだ。
 私に、もっと前向きで壮大な未来を見つめるマインド(心)があれば、そもそも「そんなつまらない人間関係」に巻き込まれることはなかった。

 なんというか、いつもとは違う事態になったときに、ふとそんなことを気づくきっかけになったのが、かつて上司が言っていたことだ。
 「新しいことをしていれば、外野の攻撃力はさがる」
 「現場維持で何もしようとしていないから、議員は猛攻をしかけてくる」とは、地方議会の話。
 もちろん、国政は違うかもしれない。
 けれど、マインドとアクションと結果が緊密な個人と地方行政では、なによりマインドを高く保つことが、つまらないネガティブ事象につかまらない唯一にして最大の防御のような気がするし、それは個人でも同じのような気がする。

 最近いろいろな場所でいろいろな人間に出会うのだが、現場維持を続けているタイプの人は、話題が暗く狭く、早い話がつまらない。
つまらないけれど、なんとなくこちらの話はとてもする気にならない。
 長時間、一緒にいると負のオーラが感染する。
 仕事上でどうしてもつきあわなければならないのだが、やっぱり一緒にると、どうして私は「らしく」なれない。
 かと言って、共通の話題もないので、相手に合わせてしまうのだけど、結局話題は上司や先輩の変な噂話になる。
 なぜなら、仕事でもプライベートでも前向きに挑戦を続けていない人は、結局、新しいプロジェクトのプの字もないのだから、仕方ない。

 結論。
 潮時笑

9月9日(日)人間関係のトラブルはいい兆候?

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 疲れる(笑)
 ほんとうに、疲れる。
 ちょっと前なら、週末は半日眠り続けて、お昼に起きればすっきりしたのに、昨日は丸一日寝てしまった。
 なんていうか、疲れている(笑)
 考えてみた結果、人間関係なんじゃないかと思った。

 私の場合、人間関係のトラブル、たとえばいじめとか、パワハラとかストーカーに遭遇する頻度は極小だと思う。
 「遭遇していても、気がついていない説」というのも、あり得るのだが、食欲もなくなるくらいの人間関係のトラブルは自覚的にカウントしても二年に一度くらいだと思う。
 
 でも、それがここのところ多い。

 いわゆる、直接私に降りかかるタイプのものではなくて、私の知り合い同士のトラブルだったりする。
 私は今年に入ってから、急に「友だち」がほしくなって、このブログでもさんざんスレッドをたてていることなのだけれど、今回もこの「友だち」関係の話題だ。
 ここのところ、私の「友だち」たちの関係がごたごたしている。
 私自身はごたごたしていないのだが、「もうつきまとわれて困ってます」「奴とは縁を切ったから、俺は君があいつといるところでは会えない」とかそういう話が私に持ち込まれるのだ。
 前者が相談、後者は報告だ。
 以前の私ならば、こんな話題にさえ足を踏み入れるどころか、入り口さえも世界のどこに存在するのよ?と言った感じだったが、今は違う。
 この手のいわゆる、「緊急ではないけれど、シナリオ的にちょっとごたごた」という朝ドラで多様される程度のトラブルは今や、私自身が関わるものとなった。
 それもそのはずで、私が人間関係を広げようと思ったことから生じた結果がこの「シナリオ的に犬も食わないありがちな人間関係トラブル」なのだ。

 今週。
 このトラブルの連続処理に、なんとなく疲れたのだ。
 片方の相談は前回ブログ「友だちがいない後輩」に詳しいのだが、私が作ったコミュニティ内で起きたトラブルだ。
 数人の後輩を互いに「つなげよう」と思って始めたことだったが、私が全員と仲良くやれても、私以外の全員が仲良くなれるとは限らなかった。

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 トラブルの原因は「仲良く」なったらいいな、を一部の人間しか思っていなかったことだ。
 いや、正確に言うと、飲み会をした結果、「こいつとは合わない」が全会一致である人間に集中したことにある。
 こうして、ある人間以外、全員の間に「あいつとは友だちになりたくない」が共有化された結果、物語がスタートする。
 テーマは「空気の読めない片思い」である。

 一人をのぞく全員が「奴とは友だちになりたくない」
 残りの一人はその逆というわけだ。
 こんなことは日常茶飯事で、はっきり言って「片思い、告白、失恋、別離」のフローで事なきを得て終了するものだが、そのコミュニティの基盤が職場だった。笑

 いやな奴がいる。しかし、職場では普通にコミュニケーションをとりたい。とるべきだ。しかし、プライベートでは絶縁したいという例のやつである。

 なんか、先輩として罪なことをしたなあ、という感じなのだ。
 
 なんとか、その「友だちのいない」先輩との食後ならぬ職後の飲み会を避けようと、後輩たちは逃げ切ろうとするのだが、「空気の読めない」後輩はそれを追いかけるという形。

 そうして、「先輩、助けてください」というラインが、研修中の私の携帯に入ってくる始末。
 後輩はもう何度も繰り返された猛攻をその都度逃げ切っているのだが、今回は逃げきれないと思ったのか、私にメールをしてくる。
 私は考えた末、別枠で飲み会を設定して、その「友だちのいない後輩」を回収するしかないか、とまで考える。
 なんだか、姑息な結束で、自分でも笑ってしまうのだが、女同士ではこういうことはあるあるなのかもしれない。

 結局、後輩たちは今回も「予定あり」を連発することで、乗り切ったようなのだが、なんだか私は陰でこそこそするこの手の隠密行動が性に合わず、どうにもストレスがたまる。
 かと言って、「空気の読めない後輩」に、「嫌がってんだろうが」と真っ向勝負を挑む利点も考えられず、ひたすらびくびく隠密行動なのだ 

 もう一つのトラブルは、知り合いからの絶縁報告だ。その知り合いとは、ある飲み会で知り合ったのだが、そこの主催者と私の知り合いが最近、縁を切ったというのだ。
 まったく穏やかではない話題である。
 その主催者の方は昔から黒い噂があり、彼もついにもうほとほと愛想がつきたというのだ。こちらの案件のほうが重い話題なのだが、

 結論。
 人間関係が広がると、その分、めんどうなことも増える。
 心労は大げさだけれど、心配が増える。

 
 とはいえ、トラブルこそ、友だちができる要因なんだということもできる。
 結束ではないけれど、はじめに広くした交友関係は、やがて気の合う者同士の強い連帯に収束していく。その課程では、共通の敵もできるのも当然だ。
 それこそ、価値観のあうあわないでもある。
 今まで、私は常に一対一のつきあいをしてきており、自分が気に入った友人としかつきあってこなかった。
 それを、コミュニティのような形に広げると、その中では気の合う、あわないも当然でてくる。
 けれど、それは互いに新しい友人ができるときの軽い税金のようなもので、それほど深刻になることもないのかもしれない。
 ただ広げていくのではなく、合わないと思ったときには、合う友だちもいるもので、トラブルを怖がっていては、やっぱり広がって行かないのものなのだと思って、観念することにする。
 反省したことは、やっぱり職場でむりにコミュニティをつくるとメリットよりデメリットのほうが多いのかなということ。笑
 みなさんのところは、どうなんでしょうか。

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9月2日(日)友だちがいない後輩

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 職場で「私、友だちいないんで」とキラーフレーズのように繰り返す後輩がいる。
 で、私は「そりゃ、いないだろうね。わかるよ」という言葉を飲み込んむ。
 つまり、あれだ。
 映画の脚本講座の二回目で登場する、「言外の意味」というやつだ。
 彼女が「友だちがいない」と言ったことは、事実、真実、組織中の過半数が賛成票を入れる正当な理由があるとしてもだ、彼女が言ってもらいたいことは「そんなことないよ〜」という否定なのだ。

 なんというか、ここにはすごい圧力があり、割と辛辣なことを平気で言ってしまう私でさえ、
「ああ、そうだな。君、友だちおらんよな。みんなそう思ってるよ。正しい認識だ」とは、言えない。

 それほど、それが真実というのもあるが、基本的に「彼女のことなどどうでもいい」と思っているからだ。

 職場の後輩それ以上でも以下でもない、あまり性格のよくない人間にこれ以上関わるはよそう、と至極まともで大人な反応してしまう。

 それに、もうひとつ重要なことがある。
 本当におろかな人間に対して「アホ」と言えない状況に似ている。
 というか、そのものだ。

 ここのところ、そんなことがあり、友だちができる、できないというのはなんだろう、と考えてみた。

 友だちというのは、定義をはじめるとめんどくさいが、要するにプライベートでごはんが食べたいと思うか、思わないかだと思う。

 友だちの定義はこれで十分じゃないだろうか。

 で、なぜか私は彼女をいつのまにか食事に誘わなくなった。
 なぜなら、彼女との会話はすべてにおいて、発言された言葉の裏読みを必要とするからだ。
 要するにめんどくさい。

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 だいたいは、自分のことを「だめなんです」というネガティブ発言をして、それがその通りだとしても、「そうじゃないよ〜」とごまかして、さっさととんずらしたくなるからだ。
 だって、真実なのに否定してご機嫌伺いなんて、なんでお金もいただいてないのに、しなくちゃいけないんですか笑。

 で、私はまだ先輩なので彼女の発言をいちいち拾わず、キラーパスとも思わず、適当に返して掘り下げないのだが、彼女の後輩なんかは大変だ。
 気を使って彼女の投げるコートぎりぎりの打ち込みを走り回ってなんとか回収している。
 ま、その横で私が回収するのがめんどくさいからそういう事態になったともいえるのだが、とにかく、
 彼女に疲れて周囲の後輩が疲れて、私に泣きつきにくる事態になったのが、先月だ。

 私は、あまり友人関係でトラブルに巻き込まれたことがないので、いわゆる困ったちゃんがいることにこの年にしてはじめて気がついた。

 それは、私も実際にあやうくめんどうに巻き込まれそうになったことかで開眼した。
 それはある日彼女が何かの会話の弾みで「うちにご飯たべに来ませんか」と言ったからだ。
 私は耳を疑った。

 いやいや、絶対やですけど。
 もちろん、口に出しては言わないが、
 このとき本当に心臓がぎゅっと掴まれたような気がしたものだ。
 それは恐怖に似ていた。
 それは、たいしして親しくもないと私が感じているにも関わらず、その空気を強引に切り裂いてそんな「プライベートごはん」を誘ってきた彼女の狂った嗅覚を目の当たりにしたからだ。

 

 なんというか、まじで空気が読めないにもほどがあるのである。
 私が、君と? ご飯? 君の家で?
 ないでしょう。。いやいや、全然仲良くないよね?
 だって、私、君のこと病気だと思ってるけど、病気って言えないでいるんだよ。
 あのー、めっちゃ、気を使ってるんですけど、常にあなたとの会話で私うそついてるんですけど。
 と、これは心の声。

 まあ、そういうわけで、私は彼女から同じ被害を受けている後輩たちと、時間差で「被害者の会」を結成することになったわけだ。
 後輩も同じように、彼女とつきあうのに先輩の私以上に「気を使って」いるわけで、そういう状態をわざわざプライベートご飯にまで持ち込むのは罰ゲーム意外のなにものでもないと判断したわけだ。
 まったく冷たい奴らである(おまえが言うな)

 で、後輩たちは被害をこれ以上拡大させないだめ、複数回にわたり「予定あり」というキラーフレーズで対応しているらしい。

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 で、結論

 なぜ我々は彼女を同僚、先輩という職場の関係を越えて「友だち」に昇格させないのか。

 なぜ、被害者の会を結成した後輩たちと私は、よくラーメンや回転寿司や、フレンチやイタリアンにいく「若手の会(りゃくしてワカイ和解)」のライングループを作っていても彼女を誘うわないのか。

 解答。
 それは彼女がいわゆる承認欲求が高すぎる人間だから。

 彼女はとにかく、他人に興味はない。
 彼女の発言は、すべて「自分を見て、自分に反応して」に還元できてしまう。
 そもそも交友関係は、本来相手に対する興味、そして関心、尊敬が生まれてはじめて「友だち」になるものだ。
 彼女にはそれがなく、常に自分の話だ。
 それだけならいいが、彼女自身気がついてないようなのだが、そのやり方がネガティブ自己否定なのだ。
 
 ここにからくりがあり、彼女はあからさまに「自分が頭がいい、できる、美人だ」とは言わない。
 むしろ、その逆の発言をするのだが、察しがよければ、「彼女がつゆほどもそう思ってない」ことは明白だ。
 なぜなら、「いや、まじでおまえあほな」
 と、笑って言えない圧力があるのだ。
 そして、そもそも彼女に対するアホ発言して、和むような信頼関係は構築未満だ。

 だから聞いてる周囲は、どうしてもフォローしなくてはならなくなる。

 まあ、彼女の高すぎる承認欲求の原因については、
 幼い頃になんかあったのだろう、と推察するしかないのだが、とにかく「認めてほしい」気持ちがにじみ出ているのだ。

 これじゃ、いい大人はみな逃げてゆくのである。
 彼女は、自己否定という手段をつかって自己肯定をひたすら他人に求めている。

 つまるところ、彼女のそのねじれた言葉のテクニカルな意味を読みとれない人間は彼女とはつき合えないし、(彼女が自分の真に意味するところを読みとれない人間に対して辛辣な否定をするため)
読みとれた人間はめんどくさくて彼女とはつき合えないということになる。

 結論2
 反面教師。
 友だちをつくるには、相手に関心をもつこと。

 もちろんプライベートで無理矢理相手に関心を持つ必要はないのだけれど、たとえば仕事や地域やそういうオフィシャルで否応なく他者と信頼関係を結ぶような空間では、相手への関心は大事だと思う。

 相手がどういう心理レベルで、成長レベルで、どんな価値観をもっているのか、いないのか、何に志をかけているのかかけていないのか、それを「知ろう」と努力することは、まず人間関係の第一歩な気がする。

 今年になって、交友関係を広げよう、そう思ってあちこちに顔を出しているのだけど、決まって一番興味がわいた人と仲良くなり、連絡先を交換できるようになった。
 今、それがとても急ピッチで進んでいて、週に十人近く友だちができている。
 ある意味ですべて私のほうからアプローチをしているのだけど、それにみな応えてくれているので、思い切ってよかった〜と思うのである。
 むしろ、人はかまわれるのを待ってるのかもしれない。
 
 で、それは逆に言うと、私がそれまでずっと他人に関心を持っていなかったことを意味する。
 それを後悔しているわけではなくて、私は今までずっと私自身だけを相手にしてきたようだ。
 読書や旅や仕事を通じて、自分というものをひたすら追いかけてきた。
 自分が何に興味があるのか。
 何に心を惹かれるのか。
 何に怒りを持つのか。
 何を守りたいを思うのか。

 それがわかりかけて、今、やっと外部の世界に関心が持てるようになった。
 自分自身から脱出するのに、私は36年かかりり、友だちのいない件の彼女はまだ29歳だ。

 私に比べたら全然、余裕である。

 だから、彼女はとことんやってみるといいと思う。
 孤独にさいなまれ、周囲に友だちがいないと思えたら、それが変わるチャンスだ。

 私はだから自分が歩いた道を思い、彼女を黙って見ていようと思う。
 もし、助けを求めてきたら、そのときは腹を割ってはなそうと思う。
 そうなる日がくれば、いいのにと心の底から思う。

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